2024年4月29日月曜日

デヴィッド・グレーバー著、酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹訳『ブルシット・ジョブ -クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店、Audiobook版。

  どうでもいい仕事、やらなくてもいい仕事というものがあるのは、私も感じていることであるし、組織的な営みとしては「やむを得ない」ものであるとも思うところがある。では、それを完全に切り捨ててしまうと、、これが意外と困らないものが多い。そういった仕事を表現し、対策を論じている書籍だと思っていた。

 ビジネス書の注目書籍の中で、注目されていた時期もあり、気にはなっていた。ただ、聴いてみると、どうにもしっくりこない論考でもあった。なぜか。本書の論考は、文化人類学者が「よくある要らん仕事の本質を言語化する」のが本著のねらいであった。このことに気づくと、確かに本著は事例が抱負で、Bullshit Jobが浮き彫りになっている。

 誰でも知っているが、誰にも言われていないが故に、誰も言わない、ことを明晰に表現するのは困難だが、これを表現することに関する意味。Bullshit Job。bull-shitとは、下品な言葉だが、くだけた親しみ・率直さを表す。BSと略す。いやなもの、不必要なもの、嘘、ホラ、でたらめ、嘘つき、嘘をつくのが上手い人、でたらめな、ばかばかしい、怒った、酔っ払った、だます、嘘をつく、でたらめを言う、いい加減なことを言う、など。嘘、だけでなく欺瞞のニュアンスがある。「クソどうでもいい」も限定的。無意味、とりつくろいと見せかけがある。「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で不必要で有害でもある雇用の形態」「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で不必要で有害でもある雇用の形態であるが、本人がそうではないと取り繕わないといけないと感じている」。

 実用的な暫定的な定義は「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で不必要で有害でもある有償な雇用の形態である。とはいえその雇用条件の一貫として本人がそうではないと取り繕わないといけないと感じている」仕事。取り繕う=pretendがポイント。空気でもって言わないことになっている、とする世界のこと。

 Shit Jobとは異なる。shitは、劣悪な労働条件で、実入りの少ない、さげすまれる仕事を強調する。この仕事は、「キツい仕事」くらいと訳され、役に立つ仕事である可能性が高い。例えば、トイレ清掃など。本来は他者からもっと評価されるべき仕事だが、そうなっていない。その仕事に就いている人も、そういうことに気づくことができて、取り繕う必要は無い。Bullshitとの違いは、pretendのくだりで、取り繕う必要とその空気感の有無が大きな違いになる。

 こういう概念構築の仕事って、有益でない言葉遊びのように語られがちだけど、実際には世界の一隅をきちんと照らして、その価値を浮き彫りにする仕事として、本当に有益なのだと思う。哲学とか社会学の成果っていうのは、こういうところにあるのだろう。そういった価値に気づいて、自分なりに言葉にできたということが、この書籍から学んだことだったりする。