2015年5月31日日曜日

組織における人材育成

先日、仕事で某会社を訪問した時のこと。その担当者は終始「全体のバランス感を見て悪影響があるならば(契約)更新についても考えなければならない」と言い続けた。
よくよく話を聞いてみても、当事者同士で話をするわけでもなく、自ら仕事を与えるでもなく、かといって指示を出す立場の人に何か指示を出すでもなく、ただ「他の人よりもできない」ことを理由に退職を迫ろうという意志ばかりを感じさせる人だった。しまいには「こんな(訪問対応)時間をとられるのも不本意」と言い放ったため、私は怒りを通り越して半ばあきれてしまった。
「こういう人が職場のモチベーションを下げるのだろうな」と思いつつ、何度か反撃を試みるも都度細かい事例を取り上げて話題をすり替えられてしまい、結局平行線というよりもこちらの要求は何一つ聞いてもらえないような状況の上、今後の訪問をも拒否される始末であった。
個人的にはこの会社の扱う商品は今後一切使わないと決め、知人やクライアントに紹介もしたくないわけだけれども、それ以上に組織を束ねるということはどういうことなのかということについて考えた。

人を束ねる立場におかれた時、部下の育成は自然とその人の業務の一部となる。このことはよほどの特例でない限りはどの組織においても当てはまることで、疑いのないことだろう。人材育成においては、対象となる人を評価し、指導方針を定め、必要な指導・働きかけを通じてその人の力量が発揮・向上されるように導いていくことになる。
働きかけは、明確に目標をもって実施する公式・定型なものと、あらゆる機会において非公式・非定型に行われるものと大きく二分される。例えば職場において役職のないIyokiyehaにとって後輩等の指導は主に後者にあたるといえる。基本的には、自分が担っている業務の一部または全部をやってもらえるようにするのが仕事における人材育成であるだろうし、仕事にあたる心構えや考え方を語ることも必要なことだろう。

今回私が頭にきた上記事例において、その人がクライアントに対して(適切かどうかは別にして)働きかけを行っていないことが問題であると私は感じた。さらにいえば、評価についても相対的な見方しかしておらず、結局のところ評価そのものが成り立っていない、よって人材育成を放棄しているといえる。
人のふりみて我が振り直せと言うが、まさにその通りだと感じた一件だった。