2015年8月18日火曜日

人という情報 ジョージ・ルーカス原案、矢野浩三郎『最後の伝令』(ヤングインディジョーンズ5)

森岡正博という学者が、ある人の「脳死」を考える時、対象となる脳死の人との関係性によって感じ方や考え方が異なることを示していた。それぞれ、一人称としての脳死、二人称としての脳死、三人称としての脳死と表現していた(『脳死の人』より)。
私が戦争を考える時、それは情報としての戦争を学び、情報としての戦争を考えることしかできない。いわゆる三人称として考えることしかできない。だから、私は「やや反戦」とまでしか言えない。徴兵制が始まるようなことになったら、一人称や二人称にもなりえるから「反戦」の立場をとるのだろうけど。

若い頃に読んだ小説を今読むと読み方が全く異なっており興味深い。『最後の伝令』はこのシリーズの中でも好きだった物語なのだけれども、当時はインディの行為が静かに格好いいとしか思わなかったのに、今ではジョッフルやニヴェル、ペタンといった指揮官の描写に大変興味をもった。
人を情報に置き換え、操作できる力(いわゆる権力)を得た時に人間の真価が問われるのだろう。第一次世界大戦におけるヴェルダンの戦いは、情報としての戦争を操作した指揮官の乏しい想像力が多数の死者を生み出したといっても過言ではないだろう。
世の中、自分の周りを見回してもむちゃくちゃがまかり通ることもしばしば。むちゃくちゃの中にあっても、誰も傷つかない、そして少し幸せがあるという選択肢を常に選んでいきたいものだ。