2015年4月9日木曜日

連携を妨げる人間関係

ここのところ違う案件で似たような現象が起こっているので記録しておく。
ある支援者が突出した支援をしてしまうことにより、支援全体の統一が図られない状況がある。それは業務を逸脱していることを「正しさ」で覆い隠し、更に自分がもっとも一生懸命仕事をしているのになぜ周囲の人はやらないのかという「正しさ」でもって自らの行為を正当化する試みであるように思う。
特に医療・福祉・介護など対人業務の現場においては、ある人の人生に関わっていきながらも、制度上の限界を越える手法として「連携」ということが言われている。この言葉は古くから使われているにも関わらず、その実体は明確に表現されていないように思う。「密な情報交換」や「相互理解」という言葉が飛び交い、これでもかこれでもかと現場にいる者同士相手が思い通りにならない事例を取り上げて「連携がなされていない」と罵り合うのが現状である。

敢えて一歩踏み込んでいきたい。
クライアントを支援することと、クライアントを思い通りに行動させることは全く異なる。支援とは当事者が問題解決するプロセスにその人の状況に応じ様々に関わることであり、そのために様々な形でのフェードアウトが組み込まれているものを言う。支援者の立場の者がいなければ成立しない生活環境は、当事者の問題解決能力を逆に吸い取ってしまう(スポイル)ことに他ならない。
関係者がケース会議をしても、支援チームでの役割が変わらないということは、ある突出した支援が制度の枠組みを越えて実施されているわけで、チームに対してハードワークを求めるのではなくむしろ自らの支援内容が適切であったかどうかを問い直す必要がある。
クライアントを依存させるのであれば、その離脱方法は計画に組み込んでおくべきだし、危機管理がなされていないのであれば支援者としては失格と言わざるを得ない。

とりあえずの雑感メモであるが、きちんと整理して自らの行動を律していきたい。