2008年2月26日火曜日

木刀の振り方一つ

合気道の師匠と、木刀の扱いについて深める。

Iyokiyehaは、毎朝の日課として15分程度のジョギングと木刀の素振りをやっている。
素振りは、面打ち30回、胴打ちを左右5回、突き10本。
木刀は重さ違いで2本持っているため、時間に余裕があれば重い素振り用の木刀でも同じくらいやっている。
いつも、同じことをやっていると、身体の変化に気づきやすく、一点集中法と併用することで、集中力を高めることができる。
次元は全く違うだろうけれども、イチローのトレーニングや、羽生善治の対局中の食事と同じイメージである。

Iyokiyehaは中学校の体育の授業で剣道をかじったのみで、他に習ったことはない。
木刀は、N-Pocket時代に初給料で買ったもの。
素振りとはそれからの付き合いなので、4年目になる。
岡山時代はアパート暮らしのため、恥ずかしさもあり、室内で振っていた。

そんな素振りを師匠に見てもらい、合気道との関連や、振り方そのものについて深めていく。
Iyokiyehaは素人なことも手伝って、武器を持ってもあまり有利な気がしない。
これも、「間合い」の感覚なのだろう。
不思議なのは、木刀を握っていることによって、相手に手を取られたときに「木刀を手放せない」ことである。
木刀を構えていて、相手に懐に入られると、テコの原理を応用した形で簡単に崩されてしまう。
木刀を握る手を、上から押さえられてしまうと、握りが返って固くなり、思うように手首をひねられてしまう。

面白い。

この「思わず握ってしまう」動作や、「手放せない」感覚は、本能的なものもあるのかと思ってしまった。
達人の「道具」は、自分の身体感覚を共有する「身体の一部」となるといった話を聞いたことがある。
前述のイチローも、バットが身体の一部になるような感覚があるようだ。
それとはちょっと違う次元で、何と言うか、「武器を持っていることによる安心感」みたいなものが根底に潜んでいるような気がする。
師匠の言葉を借りれば「道具に依存している」とでもなるのか。
何か拠り所となるものがあることによって、それをコントロールしておくことが「安心」になるかのような感覚。
だから、とっさの時に「木刀を手放した方が互角になる」と思っていても、身体反応は「木刀を持っていると安心」と思って、思わずぎゅっと握ってしまう。

今日はここまでしか言葉にできないが、この「わからなさ」が身体の不思議との関連で、すごく面白く感じている。