2008年2月11日月曜日

福本清三、小田豊二『どこかで誰かが見ていてくれる ――日本一の斬られ役 福本清三――』集英社文庫、2003年。

最近は少なくなったが、以前は時代劇を見ていた時、主人公と数回斬り合いをしてからやられていく役者さんがいるのに気づく。
「やられ役の中でも、上の方の人だろう」と勝手に思っていた。
以前、探偵ナイトスクープで取り上げられた福本氏。
その頃に出版された本の文庫版。
「人生哲学」などという大それたものではないが、一人の苦労人が、どのように人生を歩んできたか。
撮影所の大部屋役者として、役者の世界をどう生き抜いてきたか、インタビュー形式で表裏なく語り尽くす。
話し言葉でちょっと読みにくいところはあるけれども、全体としての内容は非常に興味深い。

文中に出てくる、大部屋俳優の知恵シリーズが興味深いので、引用しておく。
其の一:どっちにしても、しょうもない役だから、欲はかくな
(目立ちたくて、鎧を着ける役になってしまうと、重い鎧を着て走らされる羽目になる)
其の二:極端に目立ってはいけないが、少しだけ目立て
(与えられた役を、いかに上手くこなすかを考える)
其の三:どんな仕事でもいい、いい思い出を作れ
(駕籠(かご)かき一つにも、注文をつけるようなこだわりなど)
其の四:自分の名前を売り込もうとしない。相手から聞かれるようになれ
(一生懸命に取り組み「あいつは面白いやつだ」と思われるくらいになる)
其の五:知ったかぶりをしないこと。そうすると、必ず親切な人が現れる

先輩から「斬り方」は教わることができても、「斬られ方」は手本がない。
先輩の演技や、映画俳優の演技、または洋画でも「撃たれ方」を見て、参考にしてきたとのこと。
考えて考えて、ちょっと難しいことにも挑戦して、ちょっとだけ目立って、「あいつ面白いな」と思われる。
そんな、「きっと、どこかで見ていてくれる」ことを頭の隅に置きながら、できることを目一杯する。
もちろん、スターと呼ばれる有名な役者も、驕ることなく努力に努力を重ね、その名を広めてきたと言える。

福本氏は「飛ぼうとしなければ、落ちない」という言葉で、自らの位置を表現しているが、私がこの本を読んで感じたのは、時代劇は登場する(エンドロールの名前だけであっても)全ての人によって作られる芸術作品であるということだ。
もちろん、時代劇だけではない。
いわゆる「芝居」や、テレビでいえば「番組」というものは、関わった人全て揃って作られるものであるということ。
スターが目立つからといって、スター一人で劇ができるかというと、そうではない。
そして、脇役と呼ばれるような人たちだけで、いい作品ができるかというと、やはりそうではない。
全てが揃って、持ち場で最高の演技をして、働きをすることで初めて人に「面白さ」を与えることができるのだと思う。

おすすめ度:★★★★☆