2008年3月29日土曜日

「ゼロ」を作り出すこと

昨日、こじんまりした後輩の送別会にて、酔っ払って「うざい先輩」をやってしまったような、微かな記憶がある。
「検査器具を片付けろ」だの、「会議室のテーブルを拭け」だの、「鉛筆は削っておけ」だの。
あー、やっちゃった、って感じです。
最後の最後に。
人に押し付けるものじゃないのですがね。

ただ、今の仕事に就いて3年。
公的機関だからかどうかは特定できないが、ずっと「気になっている」ことは確かなこと。
だから、酒飲んで、タガが外れた時に「ふっ」と出てしまったのだろう。

一言でまとめると「雰囲気はコントロールできる」ということ。
逆に言えば、「コントロールしなければ、雰囲気は作れない」ということでもある。

例えば、カウンセリングに使う部屋。
落ち着いた雰囲気で、余計なことが気にならない場所であることが、純粋な「初対面」を観察するのに必要といえる。
これが、雑多な雰囲気で、余計なものが多いところでは、クライアントはそういったものを気にしてしまい、気が散ってしまうかもしれない。
逆に、張り詰めた雰囲気(レストランでいう、パワーテーブルみたいな場所)になってしまうと、純粋な「初対面」ではなくなり、余計な緊張感を生んでしまう。

仕事で言えば、他ではアメニティが整っていること。
相談室においてある鉛筆入れがボロボロだったり、その中に入っている鉛筆の先が丸まっていたりすると、そこには存在のない「前の人」が見え隠れしてしまう。
検査器具にホコリが溜まっていたり、手の油でベトベトしていたりしたら、それを触ることに抵抗があるだろう。
面接室のテーブルに、指紋がべったり付いているのも、いい気がしない。

私が神経質なのだろうか?
そうかもしれないけれども、それならそれでいい。
でも、私の職場にやってくるクライアントは、私よりも神経質かもしれないから、こういった「ノイズ」の受け止め方が変わってくるかもしれない。

こうやって考えたときに、「ノイズ」は完全に排除できるものではないということがわかる。
だから、あらかじめ「ノイズ」をコントロールし、一定の環境を整えておかないとカウンセリングの基盤が変わってしまう。
基盤が変われば、評価結果の「根拠」が揺らぐ。
現実には、基盤を常に一定に保つのは不可能だが、だからといって、それを放棄していいのかということだ。
できるだけ、制御不能のものを把握し、制御できるものはきちんとコントロールしておく。
これによって、自分なりの「一定」を作ることを、私は「『ゼロ』を作る」などと表現する。

私も1年目に気づいたわけではなく、2年目に後輩ができることがわかった頃にこういった「ノイズ」に敏感になり、いくつかの取り組みをはじめた、というのが正確なところです。
それを後輩に引き継いで、具体的には、朝出勤した時に面接室、検査室、待合室など、クライアントが使う場所のテーブル拭き、鉛筆削りをやってもらったということがあった。
自分なりの「ゼロ」を作ってもらっていたということだ。
3年目は、職場環境が大きく変わったこともあり、細かいことは言わないでおこうと思っていながらも、やはり気になっていたようだ。

余談かもしれないが、このことは「相談」を業務とする仕事だからというわけではなく、例えば戦略会議(今の仕事では「職員会議」がそれに当たる)の場は、整然として、ちょっとした緊張感があるくらいがいいと思う。
テレビで見たことのある、あるオフィスの会議室が印象的だったので、その影響を受けていると思うが、それでも上記と同じことが言えると思う。
だから、私は会議前にテーブルを拭く。

たった、それだけのこと。
でも、環境を調整して「ゼロ」にしておくことは、大切なことだと思う。