2008年3月23日日曜日

現代の「三低」と結婚

先日、新聞のコラムを読んでいたら、女性ウケのいい男性の条件として「三高(高身長、高学歴、高収入)」ならぬ「三低」なる言葉が紹介されていた。

「三低」とは、「低姿勢」「低依存」「低リスク」だそうだ。

あまり、両手離しで喜べる話題じゃないが、すごく参考になるわけではなく、「ふーん」というくらいだったが、何となく気になったので取り上げてみる。

私が「三低」に当てはまるのかどうかは、ウチのカミさんに判断してもらうこととして、三低。
高圧的ではなく、自由を与えられていて、就職先は安泰。
世が好景気なら「三高」を望み、人よりも豊かな暮らしを手に入れようとする。
世が不景気なら「三低」を確保し、身の安全を確保する。
こんな感じなのだろうか。
世相を反映した、面白い言葉のようにも思える。
「結婚は夢ではない現実」とはよく言ったものです。

結婚といえば、別の雑誌では、仏のサルコジ大統領の結婚に関する記事の中で、フランスの格言を引用していた。
「人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する」(アルマン・サラクルー)
ほーう。
これによれば、私は判断力が欠如しているときたものです。


「男なら」「女なら」と言うつもりは毛頭ないのだが、こんな風にも見られたり、結婚を揶揄されるような社会環境だと思うと、ちょっと背筋に寒気が走る思いがするのは、私だけだろうか。