2008年3月15日土曜日

記憶装置としての頭

Iyokiyehaがパソコンを使うようになって、数えてみたら14年にもなる。
以前からパソコンを「便利だ」と感じることは、やはり、データの「保存」と「検索」である。
最近では、Webによって、世界中のありとあらゆる情報が、目の前の端末を介して利用できるようになったことも、同様に便利だと思っているが、パソコンを使い始めた頃から便利だと思わせるのは、ごく単純な「保存」と「検索」である。
文書であれ、写真であれ、ファイルに名前をつけて保存しておけば、必要なときに短時間でディスプレイにそのものを映し出すことができる。
手書きのメモだって、デジカメで写真を撮って同じように保存しておけばいい。

ただ、一方で考えることは「頭で記憶すること」である。
先日、「3年B組金八先生」を観ていて、3Bの担任を外された金八先生が、美術室に張り出してある3Bの生徒の自画像を見て、「○○(生徒の名前)、パシャ」と覚えていくシーンがあった。
ドラマであるから、感動のシーンだったが、実際にやっていたらちょっとひくかもしれないこのシーン。
「俺はパソコン苦手だから」と武田鉄也が演ずる金八が言うのだが、何となく人間の本質を表しているように思った。

以前読んだ、川島氏の「脳」の本。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2007/10/1002004.html
(2007年10月17日投稿)
これによれば、脳は一度見たもの、聞いたことは記憶しているのだという。
思い出せないのは、それを記憶している場所がわからないのが理由らしい。
印象がないと、忘れてしまうことが多いのは、私も例外ではない。
Iyokiyehaは、普段記憶は苦手である。
よーいどん、で同じものを同じ時間で覚えさせたら、おそらく中の下くらいの成績だろう。
脳トレをやっても、記憶があると脳年齢が30歳くらいに下がる程苦手である。

とはいえ、たわいもないことが経験と結び付くと、意外と忘れないものだなと思う。
何らかの「特別」があると、関連情報として結び付き、より覚えやすいこともあるが、自分にとって何か「特別」ということは、案外覚えているものである。
それは、意識して「特別」になるわけではない。
もちろん「特別」なものにするために、あれこれと考えることはできても、それが忘れない記憶として、何かをきっかけに思い出すことは、やる気になればできるというものではないように思う。

自分が生きるために、またはより豊かに生きるために「必要」だと思うことは、脳が勝手に整理してくれる。
逆に言えば、必要でなければ脳は覚えないということだ。
このあたり、最近パソコンで記録を保存しているのだが、本当に大切なことはデータを残さなくても、自分の頭がきちんと覚えていてくれる。
仕事で使う資料とか、メモとか、メールの内容とか、読んだ本の内容とか、人とのやりとりとか。
データを取っておいても、意外と見返さない。
一度読んだだけなのに、何かの折に思い出す。
こういう情報が、本当に大切なものなのかもしれない。