2008年3月15日土曜日

背景をも「愛する」

結婚して、1年とちょっと。
先週末、仕事の反省会をした折、結婚生活についてもふりかえることがあったのでメモだけしておく。

結婚生活って、嫁さんを好きでいるだけでは成立しないのだなと感じる。
彼氏と彼女の関係であれば、目の前にいる「その人」のことが好きでいればいいのだろうけれども、結婚となると少し勝手が違う。
四六時中一緒にいれば、一つや二つの気になることはあるだろうし、それが積もれば嫌なことにもなることがあるだろう。
その一つ一つ、全てを許すことができるかというと、正直にそうでない場面もある。
嫁さんが、私に対して怒りをぶつけてくることも、同じようなしくみがあるのだろうと察する。

許せないことについて、どうするかというと、その方法はたくさんある。
指摘して直してもらうこともあれば、ちょっと不機嫌になりつつも次第に慣れてしまうこともある、相手が気づくようにすることもあるだろうし、はっきりと「嫌だ」ということもある。
その方法や、やり過ごす考え方は、さまざまな「知恵」によって生み出されるのだろうけれども、ではその「知恵」が何を原動力にして生まれるかというと、それは「結婚生活を少しでも充実させて、楽しく過ごしたい」と思う気持ちであり、もっと根源的には、相手に対する「愛情」といえるだろう。

この「愛情」は、Iyokiyehaの場合、嫁さんだけに注がれているのかといえば、最近そうでもないような気がする。
嫁さんは当たり前で、もっと広い対象として、嫁さんの家族とか親類にも及ぶのではないかと感じるようになった。
かっこよく言えば、嫁さんを通して、嫁さんの家族をも愛しているように思う。
愛情の形はそれぞれだが、その人たちを「大切にしたい」と思う気持ちは、私にも確かに存在していることは実感できる。
愛情の広がりを通して、嫁さんの人生をも愛おしく思えるようになり、それが目の前の嫁さんをより深く愛するための材料になるのではないだろうか。

愛情の広がりについて、考えてみた。
「その人」だけ愛する、ということが、その人を作ってきた他者を排除するような考え方にも通じてしまうように思えて、修正を加えてみた。