2014年5月25日日曜日

機械を使いこなすか、機械に使われるか。

最近、何か事件が起こると結構な割合で「LINEでやりとりしている」とか「SNSで知り合った」といったことが言われます。そのうち「LINEは犯罪に巻き込まれるから使っちゃいけません」とか言っちゃう人が出てきそうですが(もういそうだね)、これって携帯電話が普及し始めた頃にも似たような現象が起こっていませんでしたっけ?あと、インターネットの時も。

間違えちゃいけないのは、ツールが悪さするわけでも仕組みが悪さするわけでもなく、それを使う人が悪さをしたり、その悪さに巻き込まれるってことであって、LINEだってSNSだってゲームだって、それが悪いわけじゃない。
昔流行った「バイオハザード」なるゲームにはまったこともあるIyokiyehaですが、3Dプリンタで拳銃作っちゃった人には「?」を感じる大人になりました。

SNSとか、興味半分で始めてみたけれども、使えば使うほど「なるほど」と思わせる部分もあり、上手く使いこなす人は、それでビジネスしてみたり、生活を豊かにしていたりするのだろうなと思います。私はそこまでいかないけれども、ただこんな仕組みでもなければ連絡とらないだろうな、という人と再度連絡をとるようになったりと、なかなかおもしろいものだと思っています。

さっき見て「これはどうなんだろう?」と思ったのが、公園での出来事。
よく夫婦で子ども連れてきていて、お父さんがベンチでスマホに興じている様子は見るのだけれど、今日は母と子で公園に来ていてお母さんが絶えずゲームに夢中になっているという様子。そりゃ子どももおもしろくなくなって公園飛び出していくわ、と思ってしまいました。
それはきっかけだけれども、そんな様子を見て思ったのは「スマホは利用の仕方によっては人間関係を壊す」と思いました。スマホが悪いわけでもゲームが悪いわけでもなく、今日の例ならそんな状態を自覚できていない(のかわからんけど)お母さんがスマホ(やゲーム)を悪者にしているのではないかと感じました。

人のフリみて我がフリ直せ。
さて、昼寝から起きた息子のトイレにでも付き合うか。