2009年12月26日土曜日

選ぶことは、捨てること

人生には様々な選択肢があって、その一つ一つを選んで今の人生がある。
などと、自己啓発本なんかにはよくありがちなフレーズだけれども、世の中そううまくはいかないんじゃないのかなと、30年生きてきて、そしてそのうち職業生活を5~6年生きてきて、切に考えるところである。

選べない人の多くは、数ある選択肢に次々とラベルを貼っていき、損得勘定で天秤にかけようとするから、選べなくなっているように思う。
質的に判断すべきところを、ラベリングによって量的に+-(プラス・マイナス)で考えようとすると、どうしても無理がでてくる。
「理屈としては+なんだけど、感情が邪魔する」なんてのは、ギャップが生じていることを自ら気づいていることではないのだろうか。

人間、よくできたもので、物事(人も含めて)について「悪いこと」を探すのは得意で、あることをテーマにそのことを批評(悪い方を中心に)すると、わんさかわんさか、これでもかこれでもかと発言できるのに、一つ条件をつけると、発言に勇気が要るようになる。
その条件とは「ほめる」こと。

グループワークのアイスブレイクや、よくある人間関係構築プログラムの導入部分で「いいところ探し」というものがよく使われるが、面白いもので発言を+の方向にチューニングしてあげるだけで、あら不思議。
自然と笑い声が聞こえてきて、自然とテンションがあがって、自然と抑制がとれてくる。
軽くお酒を飲んだときのように、メンタルブロックが一つコロリと剥がれ落ちるような感じすら覚える。

理屈で物事考えると、いろんなものが見えてきて、返ってそのものの本質をはずしてしまうということはよくあること。
選択肢を「選ぼう」と意気込むと、自らの本質から外れたところでいろんなことを考え始めてしまうのではないでしょうか。
人からよく思われたい、失敗したくない、損したくない、もっと得したい・・・などなど。
欲が介在することによって、さらに「選ぶ」ことが難しくなる。
さらに、考えれば考えるほど、ある選択肢をとったと思ったときに、他の選択肢の「得」な部分が目立って見えるようになる。
これぞ「隣の芝は青く見える」現象。
こうなってしまうと、本人はそう思っていなくても負のスパイラルが始まる。
「あぁ、こっちを選んでおけばよかった」「やめておけばよかった」。
さらにその矛先は、選択肢を選んだ自分にも向けられる。
「なんてバカなんだ」と。

世の中には、考えてわかることと、そうでないことがあるということを知ると、何かを「選ぶ」前に一つ考えなければならないことがわかってくる。
そして、一つを「選ぶ」行為そのものが、数あるものから優先順位をつけて一つを選び取ることではなく、実は選択肢を消していった結果残ったものを「かろうじて得ることができる」ことだということが見えてくる。

そういうものなんじゃないかと、思うのですが、どうでしょうか?
少なくともIyokieyhaは、多くの場合「選ぶ=捨てるのリスク」よりも「選ばない」ことを選択した場合のメンタルブロック(気になって、他のことに集中できない状態など)の弊害の方が大きいと考えているので、結論はできるだけ早く出すことを心がけています。

今回は、ある方へのいつぞやの質問の返答を兼ねて、「選ぶこと」そのものについて考えてみました。