2007年7月22日日曜日

私の「反抗期」

 世間一般で言うところの「反抗期」。身近なところでは家族だったり、学校の年長者・教師、広くは世の中に対して「かくあるべし」に反抗するような状況をいうように思う。

精神的成長の過程で、反抗的傾向を示す時期。3~4歳時に顕れる第1次反抗期。思春期に見られる第2次反抗期がある。(はてなダイアリーより引用)

 この「第2次反抗期」にあたるものが、私にはなかった、またはあったとしても非常に軽微なものであると思っていた。親に反抗することはなく、中学校・高校時代学校や教師に対する反発はほとんどなかったように記憶している(腹の中には多少あったように思うが)。いわゆる「よい子」で育ってきたように思っていた。
 大学で発達心理学をかじったりするにつれ、私が大した反抗期を通り過ぎていないことに多少の不安は感じるようになっていた。人生の中で、本当に大切な時期に、必要となる経験をきちんと積んでいないのではないか?など、どこか負い目に感じていることがあったのは事実である。

 ただ、今日嫁さんと話をしていて、私にもはっきりと反抗期があったんじゃないかと思えるようになった。話のきっかけは、ちょうどこの週末に、私の合気道の師匠とその彼女(嫁の友人)が遊びにきたことにより、嫁が高校時代のことをあれこれ話し、聞いていたからだと思う。
 確かに、親や教師に対する「反抗」はなかったように思う。その意味では、おそらく自他ともに認める「よい子」だったんだろう。ただ、私の高校時代というのは、部活(ハンドボール)でほぼ全て占められている。別に、ハンドボールが好きで好きでたまらなかったとかそういうことではなく、部活の時間だけが唯一「楽しい」と思える時間だったというだけである。意外と思われるかもしれないが、消極的な3年間だった。クラスの思い出といえば、3年生のクラスで多少楽しい思いをしたくらいである。
 1年生、2年生の時には、クラスに馴染めず適当に過ごしていた。入学したての頃、当時は全く自覚していなかったが、特に身体の不調はないのに授業中に吐き気をもよおし、退室してトイレで吐いたこともあった。立派な不適応状態だったのだなと。1年生のときは、友人を作ろうとかなり無理したこともあったが、結局今に至る友人は皆無である。休み時間に一人で本を読んでいても、ほとんどストレスを感じない今の性格は、このときの自分なりのストレスコーピングだったのではないかと、振り返って考える。

 対人への「反抗」ではなく、結局それが引き金となる「環境への反抗」はきちんとしていたのだと、嫁さんと話をしていて気づいた。