2008年7月11日金曜日

「コミュニケーション」と「通訳」の違い、それと「神経系」

手話通訳者養成講座に参加して、早いもので三ヶ月。
内容とスキルについていけているかどうかはさておき(最近、自信がない)、根だけは上げずにぶら下がっている心境です。
面白いんですけどね、文句なしに。
やっぱり、ここにきて「表現の乏しさ(≒単語の勉強)」が浮き彫りになってしまっています。
先々週くらいから、毎朝PSWの勉強前に、手話のDVDとか見て手を動かすことを始めて、去年よりはずっとスムーズになったように思うのだけれども、講座に出席すると、同じ受講者の表現を見て、やっぱり劣等感。

愉快です(本気で)。

こんな気分は、自分の身分を半分隠しながらJC-NET会議に参加している時くらいです。
「あぁ、まだまだだな」「もっと勉強せにゃ」。
年一回だったのが、毎週になっています。

これまでの「手話」とは、頭の使い方も、短時間に集約されている内容も、「違う」とは感じていましたが、その特に後者(短時間の間にやらなければいけないこと)についていけていないということが、昨日、はっきりとわかりました。


今まで自分が、それなりにできていると思っていた「要約」は、あくまで文章を「読んで理解する」「聞いて理解する」「相手の反応を読み取る」「話を聞いて、事実と感情とを区別する」などなど、大学院でやってきたこと、カウンセラーになってから試行錯誤していることによって身についたものだったのだと気付いたところです。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/05/blog-post_18.html
(2008年5月18日分投稿)
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/blog-post_21.html
(2008年6月21日分投稿)

もちろん、この経験とスキルが役に立たないとは思いません。
文章を要約して書き直す、発言を聞き取ってフィードバックする、というスキルは活かして、そこに「聞く→把握→記憶→選択→表現」の流れを、とにかく神経に叩き込んでいくということをしないといけないのだなと思いました。

今度は、神経系の話ですね。
私の経験からは「合気道」です(笑)。
「正しいライン(=正確な手話表現)」を、何度も何度も通る練習をする(=反復練習)ことによって、素早い動作に応用していく。
手刀動作を繰り返し練習し、技の「理合い」を把握し、練習することによって、実践でも「使える」ようになるのと通じるなと思いました。


いろんなことを始めたら、いろんなことがつながって、いろんなことを考えるようになりました。
手話だけじゃなくて、合気道も木刀も、PSWの勉強もIPSも、読書もカウンセリングも。。。
一日が24時間では足りないくらいに、やりたいことも、考えたいこともあります。

身体はともかく(笑)、ココロが健康な証拠ですね。