2008年7月5日土曜日

共感すること、されること

今の会社でも、以前所属していたNPOでも、果ては学生時代のサークル活動、課外活動など、どんな場でも言えることのような気もするが、人と一緒に仕事をする時に、チームとして力を発揮できるか否かは、この「共感」にかかっているといえる。
最近、切にそう思う。

客観的にいかに優れている仕組みを提示しても、それに「共感」を得られなければ、それを提案した自分は動けても、提案された人が動くとは限らない。
仕組みが優れていれば、「とにかくやってみる」ことによって、そのよさが分かり、結果としてチームが動き出すことは想像に難くない。
しかし、仕組みをよりよくする、とか、現場にとってよりよい方法を作るために知恵を出し合うといった場面においては、やはり「共感」が基盤となっているように思う。

これが、今の仕事であれば、「給料」がインセンティブになるから、多少食い違いのあるままでも動き出す。
しかし、「役割ですから」「そう言われたから」「どうすればいいですか」こうした言葉がチームから頻繁に出てくるようでは、やはりチーム全体で知恵を出し合ってよりよい方向に進んでいくことは難しいように思う。
チーム全体の方針に従って、各々が知恵を絞り出し、ああでもないこうでもないと言いながら、考えながら進められるチーム。
この結束力は、方針や仕組みのわかりやすさや妥当性もさることながら、やはりチームの中に「共感」できる環境があるかないかによるところが大きいように思う。

NPOやボランティアワークでは、これが顕著といえる。
以前、とある仕事でボランティア(10人程度)を束ねる立場にいたことがあるが、この時はとにかく手伝ってくれるボランティアたちに、1)ビジョンを伝える、2)進捗状況について正確な情報を迅速に伝える、3)「いつまでに」「何を」するのかを伝え、細かいことは当人たちに任せる、4)評価して「正のフィードバック」をする、5)質問や相談はいつでも受け付ける、ことばかり意識していた。
モチベーションが下がったら、彼らをつなぎとめるものはない。
「共感」を得られるビジョンを提示して、自発的な活動を促す。
ここが、「給料」を得られる仕事との大きな違いである。

違いは違いとして区別すべきだが、やはり「人が動く」のは、優れた方針や仕組みより先に、動く人の「共感」の有無が大きく影響するように考える。「共感」を支える資質や技術も当然存在するわけだが、その整理はまた後日。