2007年12月8日土曜日

「できない」気持ち

率直に、Iyokiyehaは自分のことをそれほど頭のいい人間とは思っていません。
要領の悪さは自他共に認めるところですし、私なんかよりよっぽど短時間で同じ仕事ができる人を何人も知っています。
羨ましいなぁ、と思うことは度々。
だから、納得するまでいろんなことをやろうとします。

一番身近なところでは、ウチの嫁さん。
とにかく記憶力がよくて、私がずっと前に何気なく言ったことまで逐一覚えていて、時々頼りになるのだけども、時々驚かされる。

さて、本題。
「できない気持ち」って考えたことありますか?
最近、好奇心のままに動いている結果、合気道とサルサと手話を習うことになったわけです。
このうち、特にサルサではこの「できない気持ち」を強烈に感じています。

手話は、去年もやっているし、うまくなっているのが自分でも実感できます。
合気道も、習いたてでまだまだうまくないけれども、身体の使い方が少しずつわかってきたので、これもまた面白い。
ただ、サルサに関しては、基礎の基礎でつまずいているばかりか、身体が思い通りに動かず、ちんぷんかんぷんになっています。
頭と身体がばらばらになっていく感覚。
合気道を始めたときにも感じた感覚です。

それで、合気道の時には繰り返すうちに、少しずつ馴染んできているのですが、サルサには嫁がいます。
嫁さんはできてしまうのですね。
これがまず「できない」を増長させます。
それはまだ放っておけばいいのですが、その嫁さんが「もっとこうせい、ああせい」と鋭い指摘をしてくれます。
これがさらに「できない」を強調します。
不思議なことに、普段健康体でいるときには全く気にならないことも、身体が疲れていると悪い方へとってしまうのですね。
私自身が気分を害していることに気づいてしまいました。

不思議な感覚です。
その日は、こんなことで気分を害す私に対し「まだまだ未熟だな」と思うことにして済ませたのですが、翌日そのことについて振り返ると、もっと根が深いことに気づきました。
それは、「(おそらく)普段、私は嫁と同じことを他人にしている」ということ。
私が仕事で関わる方の多くは、何らかの「できない」を抱えてやってきます。
その人たちに、「そこそこできる」私はどう映るのか、もっと敏感にならなければいけません。
ただでさえ、私は「べき思考」という認知の歪みが出がちですから、それを知らず知らずの内に、人に押し付けていないか、気をつけなければ、と思ったところです。