2019年1月20日日曜日

森岡正博『増補決定版 脳死の人 -生命学の視点から』法藏館、2000年(初版:東京書籍、1989年)

・著者が「もっとも『よい』本」と評する主著の1つ。初版は出版から30年ほど経つが、法制度は変わっていても、その考え方や主張は全く色あせていない。
・脳死者からの臓器移植(提供)を巡る諸問題を「人と人とのかかわりあいの問題」であると定義し、医学的な議論を超えた論点を提出している。その上で、かかわる人たちすべてが納得する必要を説き、そのための提案が展開される。
・具体案としては、医師と患者の信頼関係の構築や情報公開などがあげられている。この点においてはやや広がりがみられるが、全体の論の展開は大変明確である。
・人にとっての脳死が、一人称、二人称、三人称の立場に違いにより理解や納得の内容が異なることを指摘していることが興味深い。同様に死の定義も異なってくる。このことには、ある「脳死」にかかわるすべての人の意思が尊重されるべきである。ごくあたりまえのことだが、このあたりまえのことが黙殺されてしまいがちな社会に向けた危惧が、後に浮き彫りになる「生命学」の芽といえる。

(以下引用)
ⅰ:脳死の本質とは、その社会における「人と人との関わり方」の問題だからであり、さらには、臓器移植を可能にした現代の科学文明のあり方をどう考えるかという問題だからである。
9ページ:「脳の働きが止まった人」を中心とした、このような人と人との人間関係の「場」のことを、私は「脳死」と呼びたいのです。
19ページ:脳死の人をめぐる人と人との関わり合いの、最低限の礼儀作法を、私たちの社会がまだ共有していないために、さまざまな倫理問題が生じているのです。(略)脳死の倫理問題とは、脳死の人と私たちの「共生」をいかにして確立するかという問題です。
100ページ:脳死身体の利用が許されるのは、(1)他に「代用可能性」がなく、(2)かつ身体にとくに「侵襲」がない、という二つの条件が満たされたときだけです。
112ページ:「利用」とは、まさに「ひと」が「ひとでなし」の身体を利用することを意味しています。
125ページ:(1)脳死が人の死であるかどうか。(2)脳死が親しい他者の死であるかどうか。(3)脳死が見知らぬ他者の死であるかどうか。そしてこれら三つの問いが、そもそもまったく性質の異なった問いだということを、私たちはもっと自覚する必要があります。(略)一人称の問い、二人称の問い、三人称の問いと名づけてもよいでしょう。
157ページ:「かけがえのなさ」を大事にすることが、じつは看護の本質なのではないかと私は考えています。※「かけがえのなさ」=他のものに決して置き換えることのできないもののこと
159ページ:脳死の人からの心臓移植の場面で「かけがえのないもの」はレシピエントのいのちだけではありません。脳死の人と取り巻く親しい人々や家族の人間関係そのものも、「かけがえのないもの」のひとつではないでしょうか。
163ページ:大事なのは、人は傍観者にも当事者にもなりうるという点です。
165ページ:傍観者の科学だけではなく、当事者の科学というものがありうるのではないだろうか。

(2019/1/18読了)