2010年8月10日火曜日

2:父親たちで考える“産後うつ”問題~ママを産後うつから守る!パパはママの最強サポーター~

第1部 体験者の方の声を聞く
○吉田紫磨子(マドレボニータ:当事者)
・8年前の出産時の体験
・助産院(中野区:松ヶ丘)で出産
・妊娠・出産オタク(安産のためなら死ねる??)
・出産をゴールに、すごくがんばった(5時間/日のウォーキングなど)
・安産(1時間くらいで)
・頭がハイテンションで、みんなに電話したかったし、布おむつを使ったり。
・退院した日にベビーマッサージをはじめるなど「ハイテンション」だった
・産後ハイ(3ヶ月くらい)→産後うつ(4ヶ月目くらいから)→半年程度うつ
・産後ハイの状態は、出産がゴール、身体のダメージに気づかず、里帰り、出歩くこともあった、引越し、
・頭だけカッカカッカしていた
・人の言うことにいちいちカチンときたりした
・夜中に外出し出歩くこともあった(100mくらいで疲れを感じ帰ってきた)
・夫は・・・仕事が大変
・育児休暇などなく、週末(土日曜)休んだだけ
・(後で聞いた話だが)仲間から「暇でしょ?飲みに行こう」と言われていた
・ほとんど午前様
・仕事に邁進
・2ヶ月目に引越し
・その後産後うつ(2002年8月~11月)
・引越しの日に高熱を出して、何もできなかった
・起きられない、着替えられない、嘔吐、パニック、涙がとまらない、しゃべれない、夫に攻撃的な言葉、抱っこが苦痛
・自分の嘔吐を眺めてしまっていた(子どものおむつでも大変なのに、誰が片付けるんだ?とぶつぶつ)
・手足がしびれるようになって、着替えられない
・精神的にまずい、と感じるようになった
・精神科にかかろうとしたが、母乳育児に命をかけていたので薬はどうかとも思った
・それでも病院を探そうとタウンページを持つが、重くて持ち上げられなかった
・夫にいろいろ話したいことはあるのに、帰宅してくると「何を今更」と思ってしまった
・「死にたい」感情が生まれてくる
・きれいなマンションに引っ越していたが、空気の悪さを感じてしまった(運よく1階だったので、事なきを得たようにもふりかえる)
・母乳育児にこだわっていたので、診察は受けなかった
・夫は・・・腫れ物に触るような、、、
・「赤ちゃんかわいいね」という夫の言葉にも怒りを覚えていた
・その後、
・タウンページが持てない自分の体力のなさをどうにかしようと思い、産後ボディケア&フィットネスに参加する
・エクセサイズ+気持ちを話す
・実家の仕事を手伝う(古紙再生の現場)
・1~2時間でも働くことができたことがよかった
・メッセージ(以下3点)
・想像力と共感(>家事、育児万能より)
・夫婦二人だけで乗り切ろうとしない
・風通しのいいパートナーシップを
・二人目の出産
・産後うつを防ぐために、様々なサポートを活用した(お金をかけた)
・三人目の出産時には、仲間が押しかけてきた(支え)

○長野正義(FJ:当事者夫)
・7年前くらいに妻が発症、5年くらい継続している
・現在妻は職場復帰しているが、再発リスクは抱えている
・通り魔犯罪に遭遇してしまったような感覚(何でウチなの?何で妻なの?)
・7年前の状況
・30代後半の夫婦、2人目の出産
・某大手金融機関の本部に勤務、30代で管理職(課長)
・妻も仕事をバリバリやっていたので、退職せず
・二人目の出産時に発症
・子ども2に対し、夫婦が実質1になってしまったことも影響するか?
・原因はわからない
・対応を時系列にまとめる(12ページ)
・まず、気休め型
・まぁ、そうカリカリするなよ
・産後の疲れの愚痴だろう
・余計なケーキを買ってみたり
・気晴らしのイベントをしてみたが・・・不要だったかも
・大変、大変って言ったってさ、育児休暇中だろ?がんばれよ、などの声かけをしてしまったかも
・最初はカリカリしていたのに、だんだん元気がなくなってきたぞ
・ある日、ごはんもどうなっているかわからない状態の子どもがいて、母親が疲れきって倒れているような状態
・これはまずい→他人依存型
・ベビーシッターを雇う、家政婦を雇う
・週末は、父親・家族、平日はシッターさんや家政婦さん
・負担を減らすため
・精神医療面のためにも、精神、心療内科の受診をすすめる
・うつ病の診断が出た
・サポートは万全だと思った
・月15万円くらいの出費だったが、その分「仕事をがんばるぞ」へ
・妻が躁状態へ
・子どもがダダをこねた時に、上の子を突き飛ばしたような事件あり
・ケンカが増えた
・シッターさん、家政婦さんは気を遣うことを知る(話をした)
・これまでは、人に頼りすぎていたか・・・→自力フルパワー型へ
・父親として「全て」やる
・朝は保育園へ子どもを送り、出勤
・夕方は17時に帰宅、保育園へ迎えに行き、風呂、食事、寝かしつけをして、再度出社して午前様
・WLBなんて言葉もないし、意識もなかった
・妻の症状はよくならなかった
・半年も続けると、疲弊してくる
・支えきれないと思えてきた
・実家が心配(実母)
・実母が徒歩5分のところに転居してサポートしてくれるようになった
・妻にふるえや発熱が生じてくる
・罪悪感、無力感「私は何もできない」と妻
・救急車で病院に搬送されることもあった
・仕事より育児よりも妻→夫婦強調型へ
・転職を決意し、介護・育児型の生活へ
・日中は二人で「ぼー」っとしてみる
・散歩に出るようになった
・初めは感情表出がなかったが、だんだん話してくれるようになった
・「あまり子どもが好きじゃない」という思いを話してくれた
・転職後は友人の会社を手伝う立場なので、時間の融通は効く
・カウンセリング中心の病院へ転院
・カウンセリングに夫もついていくようにした
・メッセージ(以下2点)
・家族で過ごすことも大切なのでは
・対応が正しかったのか、自信はないが・・・

○宮崎弘美(ママブルーネットワーク)
・出産を経てうつ病を発症
・2004年から自助グループを立ち上げる
・現在は、心理職の仕事を続けている
・長崎の「黒い雨」
・体験者として、専門家が「ここまで」という以上の範囲に黒い雨が降っていたということがあった
・通ずるところ
・体験者の話は、理論上ありえないかもしれない(産後うつ=ただの怠け?)
・自助グループのBBSではよく聞かれたこと
・2000年にうつ病悪化
・自殺未遂を何度もした
・日中の行動の記憶がない
・息子に何をしているのかわからず、危険な存在として自己認識してしまう
・それを何とかしようと思い、精神科に入院した
・入院した時に「ほっ」とした(これで息子は大丈夫)
・当時欲しかったサポート(以下)
・正しい情報(10年前には、ほとんど情報がなかった。自分が産後うつ病だということがわからなかった)
・休もうと思っても、子どもがいるから「休めない」
・闘病中も「治るのか?」と思ってしまった。
・体験を語り合う場の必要性を感じる→ママブルーネットワーク(4700人程の登録)
・うつ病の傾向から、まずは携帯メールから
・自助グループ→子育てサークル
・夫のサポートについて
・初期は全てがずれていた(ケーキを買ってきた、チョコレートを買ってきた、サイクリングに行っておいで)
・妻が本当に欲しいサポートを実現するのが「夫のサポート」聞いて実現する
・夫の限界を超えてはいけない
・全て自分で何とかしようとしてしまう傾向がある
・妻が本当に欲しいサポートのためには・・・(16ページ)
・情報収集(正しい情報)本人から、調べる、体験を聞く、本を読む、主治医から聞く(うつ病の時には考えがまとまらない)
・妻を助ける言葉かけ
・妻が一息入れる時間を作る
・自分の限界を知る
・愚痴は聞き流す
・自分自身を大切にする(ここまで)
・回復中のサポートは、間違った方向へ行くこともあるので、正しい情報を入手して参考にすることが大切(「ママブルーになっても大丈夫」など)
・求められる以上のことはしない
・言動一致(やらないことは「やる」と言わない)
・夫も自分自身を大切にする
・うつ病の妻には判断させない
・上記は自分にとって無理のないサポートになっているか?
・夫婦とも、一人で悩まない
・妻が回復後に夫がうつ病になってしまうこともある
・ママブルーネットワークの「誓い」(「ママ」=「パパ」)
・サポートを受けながら、無理なく

(司会:棒田明子さん。以下()内)
・誰でもなりうること
・第1子を子育て中のママからコメント
(アラキママ:産後5ヶ月)
・夫の帰りは遅い
・日中コミュニケーションをとる時間がない、ということが不安
・家事などはなんとかなるが
・朝バタバタの中で少し会話する
(ママの思いとパパのサポートの「ずれ」に関してどうか?)
・ささいなことが大切
・30分~1時間でも子どもを連れて外出してもらえると助かる
・お願いをすれば何でもやってもらえるので、週末は育児を休んでいる