2008年1月4日金曜日

家族がいる「安心」について

1月4日の書き込みで、嫁さんに対する感謝と、その「安心」ということを書きました。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/01/blog-post.html
これについて、もう少し整理しておこうと思います。

結婚してから、「結婚ってどうなの?」とか「結婚はいいの?」とか聞かれるようになりました。
質問者が、何を意図しているのかよくわからないことが多いのですが、まず「いい」か「悪い」かで聞かれたら、「いいものですよ」と答えておきます。
だって、そういうものでしょう。
まぁ、ノリで「墓場だぁ~」なんて言うこともありますが、それは場の雰囲気ということで。
それから更に「何が?」とか「どうして?」とか聞かれます。
はっきり言っておきます。
私にとって、これは、愚問ですね。

なぜなら、私の答えは面白くないし、冷やかせない、ネタにならないからです。

例えば、結婚して楽になったことの一つに、食生活があります。
ウチの嫁さんは、時々さぼることもあるけれども、一生懸命ご飯を作ってくれます。
じゃあ、「結婚してよかったこと=ご飯を作ってくれること」かというと、どうだろう。
作ってくれないときには、「結婚して悪かった」のだろうか。
逆の例えをあげれば、私達夫婦はしょっちゅう喧嘩しています。
些細などうでもいい喧嘩もあれば、離婚だのどうだのということもあります(大きいのは滅多にないことですが)。
この煩わしさといったら、結構なストレスです。
じゃあ、「喧嘩すること=結婚して悪かったこと」かというと、これもどうもしっくりこない。
「喧嘩していないときだけ=結婚してよかった」これも、極端かなと。

他にも具体的なことはたくさんあるけれども、そのどれもに共通することは何かと考えてみると、月並みだけども、嫁さんが「いる」ということ。
すなわち、「存在に対する安心」に尽きるような気がするわけです。
だから、結婚生活は「いい」「悪い」で判断できないと結論付けられるわけです。

こんなこと、いちいち可視化する必要なんてなくて、結婚してからちょっと考えたら誰にでも感じられることだと思います。
少しでも自分自身や相手のことを考えれば、ですが。
だって、程度はあれど、私がぐったり疲れてダメ人間化しているときでも、支えてくれる人がいる。
相手がとりあえず何をしているかわからなくても信じられる「信用」がある。
こんな「他人」が、いつも身近にいるわけです。
※「他人」=自分ではない人
これは、安心以外の何でもないのではないのかなと。
そして、これが、夫婦生活で「楽しい」ことも「煩わしい」ことも、全てを包括できる感覚ではないかと思うわけです。
だから、たとえ嫁さんの「何か」が欠けても夫婦生活は維持できます。
ご飯を作らずにフルタイムで働くというのなら、それはそれで構わないわけです。
その存在が変わるわけではないですから。

と、まぁ、私はこの深度で結婚生活を考えています。
Q「奥さんのどこが好きですか?」→A「全部」
と言って、場をしらけさせることもありますし、
Q「結婚してよかった?」→A「よかった」
と、次につながらない、ネタにもならない回答でよければ、いつでも聞いてください。

私達も、なんだかんだで一年経ちました。
一年を総括すれば、総じて楽しかったなぁ、と思えます。
結婚生活を支えてくれた、家族や仲間、知人のみなさんに感謝しています。
そして、誰より一番身近な嫁さんに感謝しています。

結婚記念日に。