2007年11月26日月曜日

身体をセンサーにする

日常における以前との変化はまだ実感がないが、合気道の稽古をする時、相手の動きに合わせて私が動作することで頭が非常に疲れることがある。
普段、身体を動かすことそれ自体を意識することがないからなのだろうが、なかなか不思議な感覚である。

稽古の中に「手刀合わせ」というものがある。
向かい合った相手と、手刀が手首で触れる距離で立つ。
一方が動き、もう一人は相手の動作に合わせて、間合いを保ちながら動作する。

先日、この稽古を目を閉じてやった。
視覚を遮ると、いろんな感覚を意識できる。
一つは手首にかかる力を感じる触覚。
一つは摺足の音や、相手の息づかいを聞き取る聴覚。
そして、それだけじゃない雰囲気のような感覚。
普段は意識することなく情報収集が自動化している感覚を意識することで、より多くの情報を収集できる。

おそらく、この「普段使わない感覚」をフル稼働するから、頭が疲れるのだろう。
でも、この「普段使わない感覚」を日常フル稼働したらどうなるのだろう、と考える。
ちょっと予想できないけれども、おそらく生活の動作が変化するのだろうなと察する。
ちょっと意識してみようか。
一体どうなるのだろう。