2010年9月26日日曜日

公の思考

先日、上司との「合わない」感覚を自分の中から引きずり出してからというもの、いろんなことが目について、気に食わないやら、つまらないやら、幻滅するやら。
いい意味では、上司との軋轢が「まぁ、公の組織だからしゃあないか」と思えるようになってきてはいるのだけれども、それによってとばっちりを受けるのはいかんともしがたい。

反旗を翻す時期でないことは重々承知しているし、私にも家族があるし、起業の時期でないことも、よ~く分かっているので、もうしばらくは踏みとどまってがんばっていこうと思っている。

とはいえ、管理職が二言目には「メンツ」を口に出して、「対外的な説明」のための数値を至上命題のように(念仏のように)浴びせられるのは、どうかとも思ってしまう。
数字は大切です。
行政機関である以上は、数字で物事語れなければ何の説得力も持たないことは、さすがに中堅職員でもわかっています。この点を外すつもりはありません。
ただ、それが常に「組織上部」を向いているのはどうなのかなと。
一体「誰」にアピールするのか?
もちろんここでも、私が所属する機関は所管官庁があるから、その担当部署に対して説明する必要があるのは言うまでもない。
そこに届くように、本部の言うデータを作製する、提出する、というのもわからないでもない。
ただ、現場の感覚としては、その過程(プロセス)ももちろん大切なわけで、数字に直結しない業務が、時を経て数字につながってくることが少なくないことは、感覚としてわかっていて、このことをないがしろにすることはできない。
ここまで含んだ上での「メンツ」なら、「よっしゃ、いっちょやってやるか」となるわけだけれども、残念ながら今の職場ではそこまで「伝わってこない」。
たぶん、考えているとは信じたいのだけれども、伝わってこない。
これは残念なことだと思うし、伝わってこない以上、指摘や指導は残念ながら私にも響かないものになってしまっているのではないかなと。
少なくとも、指摘は大切にして、次の高みに上るための具体的テーマにはするつもりだけれども、残念ながら、おそらく向こうが意図する成長にはならないんじゃないかと。

ここまでが、ちょっとした分析。
ここからは、愚痴も含めたお話。

先日の一件も、私が予定していた業務の日程に、偉い方(組織内)の視察がぶつかってきたというところでいろいろと悩んだわけだけれども、やはり納得はしていない。
そもそも、全員出席なら日程調整ちゃんとするか、事前に別案を立てるように伝達してもらえない上で「誰が受けた依頼か知らんけど、信じられんなぁ!」とか声を荒げられても、それは目の前にいる方への信頼が下がってしまうだけで、私には何も響きません。
その上で、職員との懇談とやらも、1時間遅れで開始。
予定時間よりも30分遅れで終了。
この拘束時間もどうかと思うし。
中身のやりとりを見て、この人なら私の上司で安心、という実感は得られたのだけれども。
後日、本部でこの懇談会のやりとりがもとでいくつかの部署での対応が求められたらしく、そのことが先日ウチにも伝えられたとのこと。
別にそこまではいいのだけれども、それを受けた管理職の対応というのもどうかと。
「そんなことを、誰が言ったんだ!」
はないだろう。
明らかに曲解が曲解を生んで、各部署に伝えられて偉い方の指示(質問?)に応えられていないということなのだから、それは話題に加わった職員をまず守れよと思うのだけれども。

そういうことに翻弄されているところを見てしまうと、何だか「公の思考」に染まってしまうことは自分をどこまでも殺していく作業なのだと感じる。
「私」と「公」という区分でいけばきっとそういうことなのだろうけれども、ロジックって万能じゃないから、現場の感覚って大事なんだと思うのだけれども。
それを取り入れようとして懇談の席を設けたということであれば、そもそも目的と手法を見直した方がいいと思ったところです。

分かる人にしか分からない書き方ですみません。
興味のある人は、行間埋めながら読んでやってください。
最近の出来事の整理です。