2010年9月21日火曜日

通じない=合わない

人と話をするときには、あれこれと考えて、言葉を選びながら、相手の考え方をわかろうとする段階がある。
ラジオをチューニングするように、ああでもない、こうでもないと、お互いに質問を投げ合いながら「こんな感じかな」と察し、で、本題、となる。

おおよそ、誰とどんなタイミングで話をするときにも、こういった段階はあるのだけれども、時にこのチューニングが全く効かない人がいる。
不思議なもので、全く噛み合わないんですね。こういう相談をされると、ちょっと自分のスキルにも自信がなくなる。
最近、自信をなくしてばかりです。

ここのところ、Iyokiyehaがポイントだと思っていることが、ことごとく理詰めで論駁されているのですが、そのポイントが「ごもっとも」と思うところと「何で、今、それかなぁ」と思うこととが混在していて、すごく疲れます。
自分の弱点くらいわかってるから、傷口に塩を塗らないでください。治りが悪くなる、って感じです。

そもそも、社会人だから「自分で変えられること」と「自分ではどうしても変えられないこと」があることはわかっているし、後者は、知らぬ間に周りが決めてくれる(決して甘えているだけのわけではなく、気づいたときにそこに「置かれている」だけということ)ので、自分が時間を使うべきは前者、ということになります。
後者に時間を使うのは、Iyokiyehaに言わせれば愚の骨頂なわけで、そもそも「よくわからない」ことを「わかれ」と命令されることがどれだけ無意味なことかと思うと、私の「正常な」感覚が拒絶反応を起こすわけです。

で、これを「精神的に弱い」と評されるのも、個人的には(組織的には全くわかりませんが)納得がいかないわけで。

わかる人にわかるように言っておくと、毎年この時期に管理職がやるあのヒアリングと最近職場で起こっているいくつかの「宮仕え」に関すること、対外業務における意見の相違が、全て重なってIyokiyehaのストレッサーになっています。