2007年3月17日土曜日

人生の波

 昨日は、静岡に住んでいた時の行きつけのお店へ寄ってきた。JAZZマニアが集まる薄暗い店だが、開店(19:00~)間際は、人が少なくていい。私はJAZZ好きではあるし、近所でゴキゲンなライブがあれば行くくらいの人間だが、演奏をあれこれと評するほどのベテランではない。ゴキゲンな曲がかかって、楽しくお酒が飲めればそれでいいくらいの人だから、空いている時間に行く。久々の訪問だったが、マスターは私の好み(基本的にさっぱりしたカクテルが好き、最後はモスコミュール)を覚えていてくれて、スタンダードなカクテルを手早く作ってくれた。
 客商売をやっているだけあって、このマスターは話題が豊富である。「電気屋に行かないと、時代に取り残されるぞ。Iyokiyeha君は、もう取り残され気味だな」と、ホット・ポンピング・エアコンの話や、水で食べ物を焼くオーブンの話なんかもした。携帯電話にTVが付いたりして迷走しているなと、最終的には眼鏡に全ての機能が付くんじゃないか。ゲームもそのうちゴーグル型になるとか、ホントくだらないけど、ためになって面白い話も多い。
 一つだけ気になった話題は、「楽な生活=何もしない生活」ではないかというもの。何もしない=平坦な人生で楽なんじゃないかと。それが楽しいかどうかは別。「楽」と「楽しい」、同じ字を使うけど意味するところは少し違ってくるなと。マスター曰く、「生きていればいいこともあるだろうけど、大体はしんどいものなんだ」とのこと。まぁ、大枠では私も同感。何かやれば、何かとの関係の中で悩み、苦しむことが多い。それは、人との関わりが多いけど、場合によってはモノだったり時間だったりする。結局、現代社会では、バカンスが毎日続くような生活ができる余裕と財力がなければならないわけで、理論的には合っていても、実現はほぼ不可能だろう。万が一それが可能であっても、それを選択するかどうかは、また分かれるところか。私だったら選択しないが、その理由は森岡正博著『無痛文明論』を読んでしまったからだということにしておく。
 でも、不思議なことに、この話題が今の私の仕事とリンクした。要は、私の仕事は「他人の人生に波風を立てることを勧める」仕事なんだな、と。「人生の波=生きがい」ということにすれば、それを求めてやってくる人たちのニーズに応える仕事ではある。これは真だ。ただ、そうでもない人(厳密には、仕方なく働くことを余儀なくされている人)にもどこかで働くことを推奨している自分がいることに気づく。さっきの話なら、万が一一生バカンスできるときに、それを選択する人に対して「社会参加です」という印籠を持っている私がいた。
 多分、もう少し突き詰めて整理すれば、論理的にも私が間違っていないことを証明することはできるだろうが、敢えてそれをしないのも手かなと思う。各々のニーズに応じた支援をする仕事だから、「そういう」可能性も捨てきらずに、頭のほんの片隅にある金庫にでも入れておいたほうがいいかなと。また、何か刺激があったときにでも、ゆっくり考えるとしよう。