2007年3月11日日曜日

Anytime Anywhere Living Me (3/10)

 異動の内示を受けて、初めて「ほっ海」へ。先月、ふぐ鍋の報告をしたお店です。
 料理長、支配人ほかの従業員のみなさんに、異動となりそうな旨告げる。営業トークかもしれないけれども、「寂しくなるなぁ」「異動しないことをおすすめします」なんて言われるのは、ちょっとうれしい。私も負けじと、「この一月で、岡山を食わせてください」と言う。毎回食べているハマチのカマ塩焼きをやめて、アジのたたきを食べさせてもらう。「胡麻と大葉をおまけしといたよ」こんなちょっとしたやりとりが本当にうれしい。骨もから揚げにしてくれて、満足。
 ここの料理長とは、よくお話をさせてもらう。仕事の愚痴、職場の愚痴、嫁とののろけ話、漫画の話とか、本当にその日の「ノリ」で、たくさん話を聞いてもらうし、聞かせてもらう。料理長はバックパッカーで、アジア各国を歩いた人。旅して考えて、とっても人間くさい話をしてくれるので、私はとても楽しい。 
 3/10の話題は(移動中につき、日付で書いています)、そういえばよく料理長が言ってくれていたこと。「俺にはできん仕事をしてるから、Iyokiyeha君にお任せします」ということ。私が障害者の就労支援をやっている国の機関の人間だということを知っていて、そういうことを言ってくれていた。何でこの仕事をやっているのかという問いに対して、料理長の言葉が残った。「組織の存在意義があるから、それで一生懸命仕事してるでしょ」。言葉だけで書くと説明が要りそうですが、給料のため、自己実現のため、成長のため、いろいろ言われる「仕事をする理由」。人間ですから、きっとそれらも否定はできません。でも、それらを全部ひっくるめた上で、さらに高次へ、組織の存在「意義」に賛同して、そこに「いる」から、一生懸命になれる。
 あぁ、そうかもしれない。よく、人から「すごい仕事してるね」と言われる。おどけて「給料もらってるからねぇ」とは言うが、ここまで考えたことはなかった。でも、こんなことを、何となくでも考えているから、何とかしてやろうという気になる。親身になって、頼ってくれる人がいて、その人に何とか人生の道筋を「見せて」あげたい、私の深いところで、何と言ったらいいか、、それができる立場にいて、私がちょっとがんばれば接した人がちょっと幸せになるのであれば、やろうじゃないか。それで給料ももらえる、何て幸せなんだと。おそらく、普段はあまり自覚していないけども、そんなことを考えているのだと思う。
 大学でやってた議論の真似事くらいスリルがあって、わくわくするような談義でした。そんなことができた料理長とも、今月一杯でしばらくお別れです。山梨転勤だと、赴任中に岡山に来ることはないだろうな、と現実を考える。「岡山によることがあったら、この店には来ます」おそらく事実だろうが、その機会はいつになるか全くわからない。そんな一抹の寂しさもあり。
 料理長が、一つ言葉を教えてくれた。海外(英語圏)でよく使う言葉らしい。Anytime, anywhere, living me.「わたしはここにいるよ」ということですが、その意味するところは「会う必要があるときには、また会える」といったことだそうです。おそらく、この店の人、特に料理長とは、どこかでまた会うのだと思う。それは、岡山かもしれないし、山梨かもしれない、静岡、浜松かもしれないし、そのどこでもないところかもしれないけれども、きっとまた会うのだと思う。私は、安易な「つながり」論は嫌いですが、人生ってそういう縁みたいなものがきっとあるのだと思う。