2007年3月17日土曜日

やるかやらないか

 ニューヨークヤンキースの松井秀喜選手の著作『不動心』を読んでいる。浜松で買って、帰りの電車の中で読んでいるところなので、まだ半分くらいしか読んでいないのだが、名古屋で乗り換えたので、ちょっと気づいたことをメモ。 左手首の怪我を乗り越える時の気の持ちようについて書かれているくだりを読んで、以前「ほっ海」の料理長と酔っ払って話をしたことを思い出しました。
 松井選手曰く、いつか怪我をしてよかったと思えるようになりたい、とのこと。手首の怪我をしたことによって、これまでと同じ松井秀喜に戻ることは不可能であるという前提のもと、それならば打撃フォームを改善して戻ってこようと、トレーニングをしてきたそうです。左打ちバッターが左方向に打球を飛ばすこともできるようなフォームへと、より進化して怪我から復帰してきたと、著書の中で本人は語っています。過去は変わらないけども、未来は努力でコントロールできることもある。そして、どうしようもないかもしれないけども、そうした努力をできることが大切であると、そんなくだりまで読みました。やらずに後悔しても何も変わらないけれども、前向きに何か行動を起こすことで何か変わることがあるかもしれない。よく語られることではあるけれども、実際にアクシデントを乗り越えてきた人の言葉は、社会人となった私には響くものです。
 昨年秋に仕事でどうしようもないケースに取り組んで、もがいて、怒って、なだめて、私にできることは全てやったけども、結局ポシャったケースがありました。そのときに、確か飲み屋でぐでんぐでんになりながら派手に愚痴ったときに、料理長が確かこんなことを言ったんです。「ほら、結局はIyokiyeha君がやりたいことをやったかどうかなんだよ。自分で納得するかどうかでしょ。その子がどうなるかは、最終的には『その子』が決めるんだから」言い回しは、もっとくどかったと思いますが(二人とも酔ってましたから)、まぁこんなところです。人の気持ちや行動なんて、他人が決められるわけがない。先日の精神障害の話じゃないけど、人生という車の運転手はあくまでその人なわけです。支援者面した人はあくまで助手席にいるべきなんですね。
 アクシデントを前向きに乗り越える、という点においては、いろんな人がいろんなことを言っていますが、乗り越える際、後で振り返って「あんなことがあって、『よかったなぁ』」と思えるような乗り越え方ができるようになりたい。言い換えれば、苦しくて必死でもがいていても、そういう可能性があるかもしれない。全てではなくとも。だから、がんばっちゃうんだな、きっと。
 最後は一箇所、引用で。(103ページ)
 心が変われば行動が変わる
 行動が変われば習慣が変わる
 習慣が変われば人格が変わる
 人格が変われば運命が変わる