2010年12月19日日曜日

排泄物処理に思う(パパ育休日記4)

「おむつ替えをするかしないか」で、世の父親を分類できると、妻に聞いたことがある。第一子誕生前に両親学級で、テープ型のオムツ替え実習をしてから、父親もオムツを替えるものだと思ったIyokiyehaは、今やオムツに関してはかなりの手際の良さであると自負している。

個人的には、オムツ替えは「できるかできないか」というスキルの問題ではなく、「やるかやらないか」のやる気の問題だと思う。
だって、みんな排泄ってするじゃないですか。
自分の子どもの排泄の面倒を見られなくて何が親だ、と思ってしまう。
まぁ、その人の主義・主張とかもあるから、そこまでの精神論でしかないですが。

で、今回誕生した息子はまだまだオムツなのだけれども、時期を同じくして、上の子(2歳)がそろそろトイレトレーニングを開始する時期となっており、それに付き合っているIyokiyehaです。
オマルではなく、便座に補助便座をつけるタイプで、アンパンマンがついているものを義母からいただいたので、それを使用します。

親の意向と子どもの意向ってのは、ここまで差があるのだなと思う毎日。とにかく「待つ」ことなのだと感じます。
というか、「待つ」ことも既に親の都合でしかなくて、子どもにとってのトイレは「排泄処理の場」ということが理解されるまで、他のことと同じ遊びの一つとしてしかとらえていないのだなと実感しています。
○歳までにオムツがとれていないと早いだの遅いだの、そんなのは幼稚園・保育園、ひいては親の都合でしかなくて、人間の気づきとやる気で技能は獲得できるのだと実感する毎日です。
イヤイヤ期のやりとりだって、同じようなものに思えるけどなぁ。それは別の話。

上の子のトイレは、ビギナーズラックで一回成功。下の子は沐浴中に大きい方を排泄すること数回。
二人して、いい戦果を残しております(笑)。