2010年5月1日土曜日

雑記100501

5/1
4/29に有給をとって、一週間の連休中。
どこか旅行へ行くとか、そういうことではなく、妊娠中のカミさんを含め、のんびり過ごそうと考えてのこと。
存分に子育て・家事をやっておこうと、毎日いろいろ挑戦してみている。
 
一人暮らしが長かったので、それなりに一通りのことはできるのだけれども、まぁ特に掃除なんかはカミさんとIyokiyehaとで、基準が違うので、あまり手を出さないことにしている。
Iyokiyehaは、一週間くらい掃除しなくても大丈夫な人だけれども、カミさんは基本的に毎日掃除しないと気になってしまう。
そういうものには、あまり手を出さないことにして、娘と遊んだり、食事の支度をしてみたり、洗濯物をたたんでみたり。
普段、仕事をしていると、つい見逃してしまいがちなことを、いろいろやってみる。
家事って、いろんな細かいことがたくさんあるんだなと、改めて実感する。
 
こんな休日も悪くない。
 
 
4/28
よかれと思って緩和勤務を提案することがある。
精神症状やそもそもの体力、復職時の配慮と、その理由は様々であるが、本当に対象者のためになるかという点では、慎重にすべき項目かと思う。
 
というのも、勤務時間の縮減に関しては、体力的な面だけでなく、精神的な面というのが見逃せない。
他の人が働いている時間に、出勤する、退勤する。
また、緩和勤務ゆえに「できること、できないこと」が生じてしまう。
周囲の人からの暗黙の扱い。
こうしたことをひっくるめて、対象者がどうかんがえるか、ということにまで思いをめぐらせなければ、障害当事者と事業所の間に立った支援にはなりにくい。
 
かつ、このことは、関わる人の誰もが「慣れていない」ことが注目に値する。
当事者はもちろん、事業所担当者は困っていることがほとんどだし、支援者であってもこのあたりの蓄積があるとは限らない。
 
先日、復職後に適応状態が良くなかった方が、担当業務を持ったことにより、急速に安定して職場復帰したという事例を担当して思うところである。
 
 
4/27
ある一定程度以上で回転していると、余裕がなくなって学ぶことが少なくなる、ということに気づく。
最近の働き方は、とかく得るものが少ない。
というか、整理できていない。
 
物事を整理できていないと、とにかく目の前にあるものを処理することに追われ、次の高みに上ることを意識しづらくなる。
次の高みに上らないと、いつまで経っても処理効率も、処理レベルも変わらない。
もちろん突っ走った後にふりかえるということもありえるが、とかく抜け落ちたことが気になったり、結局処理に追われたりと、いずれにせよ余裕がない状態が続くのはよくないと思う。
 
連休が終わって、忙しいながらもひと段落したら、少し働き方も考えよう。
 
 
4/26
休日が休日として機能している。
子どもがいるため、やることは結構あるのだけれども、国家試験の前と違って、何事にも余裕ができた。
 
金曜日の疲労がたたって、土曜日は休養に全部当ててしまった。
日曜日は、近所で開催されていた「富士見子どもフェスティバル」へ行き、地元の人たちの出店であれこれと買い物する。
カミさんの花粉症も、少しひどくなってきたので、あまり長居はしなかったのだけれども、あの活気と、お手ごろな食べ物とで、結構満足。
 
娘の世話も面白いもので、毎週毎週できることが増えていて感心する。
こういった余裕も、大切なんだよなぁと、実感。
「いぇい、いぇい」とスクワットのような動きをしながら、やたら機嫌がいいこともあれば、一方で寝起きは悪い。
きちんと見ていてあげれば、もう手をひかなくても一人で歩けるので、親として肉体的な負担はかなり軽くなった。
坂道砂場、なんのその。