2021年5月9日日曜日

緩みを正当化させるムード

  「ムード」という言葉を当てたら、勝手に納得してしまった。

 「コロナ疲れ」とか「自粛疲れ」という言葉が聞こえてくる。COVID-19の感染拡大とその防止対策をとることに対して出てきた言葉である。

 もちろん、それまでと違った生活リズムを余儀なくされ、そのために心身に影響が出る人がいる。労働市場の急変に伴い、将来への不安から体調を崩してしまう、不穏になる、自暴自棄になる人もいる一方、そんなことは俺には関係ないとばかりに路上でごきげんになっている人もいる。夜の飲食がだめなら昼にすればいい、店がだめなら路上でやる。まぁ人間の知恵というのはどこまでも広がっていくものだと、報道を見て感じることがある。

 そういう、周囲への影響を感じないごく一部の人へは「反知性主義」の文脈が当てはまるので、それはもう「基本に帰れ」と言ってその人が気づくまで放っておくしかない。しかし、確かにいる前者の人達(心身への影響が出ている人)に対して、最近の「自粛疲れ」報道は、弱者に冷や水をかけるような「あおり」が生じていないかと、ちょっと心配になる。「この大変な状況で、タガが外れている人がいます。これも『自粛疲れ』でしょうか」みたいな報道って、「それもしょうがいないか」みたいなゆる~いムードを蔓延させていないか?私はそれを感じつつ突っぱねているけれども、弱っている人にとって、こうした報道のもつメッセージってどんな風に受け止められてしまうのかと心配になる。

 できないことをやれと言われても、そりゃ無理だとなるわけだけれども、これまで提案(?お願い?)されてきた対策の中に、基本的なものがあります。そういうことを丁寧に、そして「これしかできない」なら「これをしっかり」やることで、新しい日常をつくって自分なりに安定していくしかないのかな、と思いました。「疲れているから、みんな緩むんです。どうにかしてください」ではあまりに無責任でないか?「ここが正念場、がんばろうぜ。しんどいならこういうところに相談よ」くらいの冷静な報道を期待します。