2020年8月30日日曜日

ごほうびのありかた

 ごほうびのありかたって考えどころだなぁ、と思う。 それも大人へのごほうびとなると、これはエゴ(欲)と表裏一体のところがあるからなかなか難しい。

 例えば、自分が持っているりんごの数で、りんご畑の手入れの時間が変わるとします。1こ持っている人は1時間、2こ持っている人は2時間、3こ持っている人は3時間、、としましょう。 ちょっと前までは、3こ以上持っている人でも、とりあえず2時間やってくれたらそれでいいですよ、というルールだった。理由としては、1人で4時間、5時間行うよりも、みんなにりんご畑(木)のことを知ってもらいたいという理由もあるからだ、ということ。みんなそれなりに納得して、りんごをたくさん持っている人でも2時間やってみんなから「よし」としてもらったし、1時間やればいい人の中でも「もう少しやっていこう」と畑でアルバイトするようになったりしていました。1こ持っている人と複数持っている人、とで対応が異なっていたわけですね。 これが、「いやいや、2時間やるものしんどいから、みんな1時間でもいいんじゃない?」ということになる。大勢の人は「いいんじゃない」と賛成する。それはそうだ、負担は少ない方がいい。こうなるとそれまで1こ/複数とで少し対応違ったのだけれども、全員が同じ条件で「1時間やればいい」ということになる。こうなるとどういうことが起こりえるだろうか。・「1時間やった者同士」ではあっても、「私はきちんと義務を果たした(1この人)けど、あなた(複数の人)は特例でしょ」という感覚が生じる。・私はたくさん持っているけど、義務を果たしたし経験もあるから、まだ経験のない人に作業の仕方を教えてあげる、という物言いになる。

 作業が楽になるから「りんご畑作業は1時間でいいですよ」案はほぼ必ず可決されるようなものなのだけれども、りんごを持つ人達の中で分断が生じる可能性は高いと思います。 ルール作りにおいて、原則(1こにつき1時間)の作成と、ごほうび(作業免除=例外)の設定って、対象者間の関係に注目すると、慎重になりすぎて然るべきことだと思う。