2020年8月10日月曜日

篠田博之、月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』創出版、2018年。

 ・今思い出しても「気持ち悪い」事件である。2016年7月26日に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に植松氏が押し入り、利用者19人殺害、27人を負傷させた事件である。

・初めてこのニュースを聴いた時に、ショックと同時に「気持ち悪さ」を感じたことを覚えている。昨年度、判決が出たことを機にこの「気持ち悪さ」に挑戦してみようと本著を手にとった。

・報道には表れてこなかった本著の記述を読んで感じたこと。1植松氏が語る内容は、「それ自体を切り取れば筋が通る」こと。2植松氏の主張は「社会にとって氏の言う意味でのメリットはある」こと。

・上記を受けて、私は現職を置いておいたとしても、これらの主張には賛同できないし、そもそも立っている前提が異なるので全く論外と考えている。私は生命至上主義をとっているわけではないので「生命は何を差し置いても尊い」とは言いにくい。とはいえ「すべての人がよりよく生きるための選択肢」を大切にしたいと考えている。

・氏の主張は、論理的にも「拡大解釈の余地を残しており、現に生きて生活している人の生きる選択肢を取り上げる可能性がある」ため論として不十分である。たとえ、心失者(下記説明)を社会から排除することで、社会的コストの削減になるとしても、それは金銭財政的な側面しか見えていないため、やはり不十分な論である。

・ 心失者=意思疎通の取れない人間。40、57ほか。与死=社会が一定の基準を満たした人に死を受容させるもの(松村外志張、2005)(『ギフト+-』のモチーフと同じだな)

・質的なこと。あくまで三人称の理屈である。氏は当事者となったわけだが、一人称、二人称の問いには至っていない。不安の中で生きることが人に与える影響が全く考慮されていない。優性思想とは異なるという主張ではあるが、評価しがたい。

・そもそも、根源に立ち返った時に「いのち、存在の価値」って何なのだろう?という疑問が生じている。氏はそれを認めていないのだろうが、ではこう考えている私はどう考えている/いないのだろうか?(136より)

・根本は「わからなさ」と「ためらい」、そして「優柔不断」。やはりどこかで「わからなさ」と「ためらい」というのは、歯がゆいほどの「優柔不断」になる。(中略)時間に追われ始め、時間泥棒が登場して時間に煽られるようになると、やっぱり合理と即決主義、あるいは能率ということが優先される。(156より)

 なにもかもわからなければいけないのか、人と非人を分かつ必要があるのか。それを分かつ必要があるという氏の主張に対して、私の態度は否定であるものの、ではどんな立場からそういう態度になるのか、というと特定の立場は定まっていない。そもそも、人が生きる、ということそのものに対して発するべき問いなのだろうか、立場を定めなければならないのか、という根本的な問いが生じる。併せて、社会的弱者と言われる人たちの中には、危機的状況下において、命を落とすリスクがある。

 人間のことって、わからないことばかりで、理屈で答えが出ていることにも感情や背景が介入して優柔不断になることは自然な反応だろう。古今東西のいろんな人が、そうした人間を様々な形で記述しているのであるが、未だその全てはわからない。わかったことがあるから更なる謎が生じることもある。そういう存在に対して、何もかも「知ったふり」をして、社会の効率を判断基準としてその生殺与奪を判断するという行為は、子どもが「よくわからないけど、食べてみよう」と消しゴムを食べてみる行為とそんなに変わらないような気がする。判断力のある大人がとるべき行動ではないと思う。


■以下引用

11(刑法39条)刑法39条では被告が犯行時、心神耗弱ないし心神喪失であったと判断された場合は、それぞれ罪を減じたり無罪にすることが決められている。

20(犯罪とは)犯罪とは、何らかの意味で社会に対する警告といえる。社会が今どんなふうに病んでいるのか、それを示した犯罪に私たちがどう立ち向かい、どんな対応をするのか。それまでの社会システムをどう改めて、悲惨な犯罪が起こらないように予防していくのか、この事件の投げかけた問題に、果たしてこの社会は答えることができるのだろうか。

57(心失者)自分は心失者とそうでない障害者との線引きはできると思っています。判断の基準は意思疎通できるかどうかです。例えば自分の名前と住所を言えるかどうか、です

84(7項目の提案)1.安楽死 2.大麻 3.カジノ 4.軍隊 5.SEX 6.美容 7.環境

197(共生社会)(松本)(略)理由は何であれ警察が容疑者を「他害のおそれ」の段階で逮捕し、刑務所送りにすれば、彼の危険思想は変わるのか、安全な市民に買われるのかという話なんです。「おそれ」の段階では無期懲役や死刑なんてとても無理です。つまり、いつかは地域に戻ってくるんですよ。(略)私としては、「それが犯罪防止に役立つかどうかはさておき、まずは地域での孤立を防ごうよ」と思うわけです。(略)隔離では何も解決しない。