2009年6月21日日曜日

相対的な時間

先日、テレビで島田紳助が「こどもの時の一年と、大人になってからの一年の長さが違うのは、『新しいことの量』だ」と言っていて、なるほど納得させられた。
Iyokiyehaにも子どもができて、休日、一日中子どもを見ていると、何が楽しいだかよくわからないものに興味を示していつまでもいじっている。
例えば、コンセントが抜けている扇風機のスイッチ。
押したって動くわけではないのに、いつまでも叩いてボタンを押してみて、あれこれといじりまわしている。

こんなものにも「新しさ」や「楽しさ」を感じるのだなぁ。

Iyokiyeha娘が、今どんなことを考えて、何をどのように見ているのかということは、残念ながら知る術がない。
でも、一つだけ言えるのは、Iyokiyeha娘が毎日「何か」に興味を持って、「何か」できるようになっているということ。
これだったら、毎日楽しかったり、悲しかったりするんだろうなぁ、と。

そんなことを考えるIyokiyehaを振り返ってみると、割と好奇心旺盛ではあると思うけれども、それでも扇風機のスイッチは「スイッチでしかない」のである。
こうした知識や、ある程度の固定観念は、それが形成されることによって効率よく行動することができるものであるため、全く要らないものとは言わない。
ただ、そうしたことにとらわれてしまうことによって、本来「楽しめること」が楽しめなくなってしまっているのかもしれない。

いつでも楽しく、明るく、そして嫌なことも笑い飛ばせるような人になって、充実した時間を過ごしたいものである。