2009年1月3日土曜日

ワーク・ライフ・バランス

専門的な説明や提案は、別の書籍に譲るとして、Iyokiyehaの私見をまとめてみる。
最近、思ったり考えたりしたことをまとめたときに、ちょっと見えてきたこと。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/12/blog-post_30.html
(2008年12月30日:エコえこ)
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/12/blog-post_50.html
(同日:自分がすべきことの範囲)
このあたりをひきながら考えたこと。
それは、私の行動を制限しているのは、他ならぬ自分自身ではないかということ。
1.○○と思われてしまうのではないか。
2.自分だけ□□しても、何も変わらない。
3.△△は自分にしかできない。
他。

こういった思考パターンは、知らず知らずの内に、自らの行動を制限してしまっている。
そして、その自縄自縛の構造は、優越感とか虚無感を伴いつつも「どうしようもない」こととして、自らの心の奥底に隠れてしまう。
不思議な構造で、まず「見えにくい」、そして「行動に移しにくい」、更に言えば「責任を外部に転換してしまいがち」な構造が潜んでいる思考パターンといえる。

友人と話をしていると、なぜかこうした愚痴っぽいやりとりになることがある。
ある友人だけではなく、複数の身近な人たちである。
上記思考パターンの内、Iyokiyehaは1.2.に関しては割とネジが緩んでしまっており、あまりそうしたことを感じなくなっていたが、3.については昨年度ようやく気づくことができて、修正を図っている最中といえる。
だから、周囲がどう思うかは別として、1.2.に関する共感は「友人には」薄いと思う(クライアントに対する仕事モードの時は別かと)。

「○○と思われてしまう」と感じるほど、Iyokiyehaは他人の同じような行動を気にしていないし、私もしてしまう行動を別の人がした時に、それを不必要に咎めるような人がいる職場は「雰囲気の悪い職場」と認識するし、その首謀者は「小さい人」と評価し、あまり相手にしない。
「自分だけ□□しても、何も変わらない」なんて思ったら、前例に縛られているように見える、私の大嫌いな人種に早変わりしてしまう。
それぞれの職制や背負っている看板があるので、好き勝手やれというわけにはいかないし、私も「できないことは、できない」と言えるようになってきた。
プライベートまで広げて考えると、先日アップしたエコに関することも含め、私が「正しい」と思ってやってきたことが、世の中のしくみとなって新たな形で自分の前に立ち上がってきたことも少なくない。
きちんと学んで、きちんと考えて、他人の目を気にせずに行動したことは、必ず変化を生むという確信を持っている。

ただ「△△は、自分にしかできない」は、意外と曲者ではある。
最近気づいた、最もシンプルな法則は「そんなものは、ない」である。
Iyokiyeha一人いなくたって、世界は動くし、日本もつぶれない、職場にだって大した影響はないはず。家族には、迷惑かけるが。
ということは、私でないとマズい仕事なんて、それほどないわけで、原点と発想によって私はもっともっと余裕ができることになるような気がしている。
このことに気づかないで、仕事を整理せず、「やった方がいい」ことにとらわれてしまい、仕事に飲まれてしまうと私も体調を崩してしまうのだろう。
もう一つ付け加えたら、私がいなくなってどうかしてしまう職場は、それ自体が「異常」といえる。
私が作った職場じゃなく、公的機関ですもの。

ここまでは、気づいたこと。
あとは、このことを常に意識しながら、実行に移していくまでです。
今年は、家庭生活や趣味と連動した数値目標が立っていますから、達成に向けて知恵絞ります。
以上、字面だけでないIyokiyeha流「ワーク・ライフ・バランス論」でした。