2009年1月3日土曜日

まけない

先日、友人と話をしたことから、ちょっとしたことをWebで調べてみる。
あるある。
今や、個人的な問いだと思っていたことまでWebで調べることができる。
すごい世の中だ。
もちろん、公式な情報は書籍や雑誌にまとめられているものに目を通す必要があるのだけれども、Web公開されている情報へは、容易にアクセスできる故、それらの情報を読み解く力はつけておかなければならないと思う。

人の生き様から学ぶことは、その人が考えていることよりも、それを受け取る人によるのだなと、つくづく思う。
同じ情報に触れていても、そこから嫉妬しか生まない人がいれば、悲しみだけ、怒りだけを訴える人もいる。
そんな中で、Iyokiyehaは何を受け取るのか。
何を感じ取るのか。

感じることは無数にあるとはいえ、そこから私の生き方に反映されるものは一体なんだろうと考えると、そこに価値をつけることの意味そのものが揺らぐ。
知らぬ間に、価値をつけているのだろう。
でも、気づいていないこともあるだろう。
それが無意味かと言われれば、無意味かもしれないけれども、ひょっとかしたら何かすごいことが埋まっているかもしれない。
いや、すでに私に組み込まれてしまっているのかもしれない。
一つだけはっきりしたことは、この「わからなさ」を捨ててしまうことが、一番無意味であるということ。
常に考えていることでなくとも、片隅においておきたいものである。