2007年6月17日日曜日

同じベクトルを生み出す、別の動作

 力の方向が同じであっても、それを生み出す動作には様々な方法がある。

 合気道を教わるようになって、日課となっている運動の時も身体の部分部分を意識するようになったように思う。例えば、走り方であったり、木刀の振り方であったり、傍目にはわからないと思うが、私としては動作を頭で確認しながら次の動作へと流れる。いわゆる「当たり」の動作だと次の動作はスムーズに流れるように続いていくが、そうでないと今までの身体に刻まれた動作へと戻ってしまう。後者が悪いというわけではないと思うが、動いた後の気持ちよさを比較したときには、明らかに前者に軍配があがる。このことは、先日も話題にあげた「ナンバ」の動きを提唱する甲野善紀氏の説明するところにも通ずるものがあるように思う。

Web:松聲館http://www.shouseikan.com/index.html

 合気道習いたて+中学校の授業で剣道をかじった、程度の私が今日感じたのは「肩で動く」こと。これまで木刀を振る時には、大きく振りかぶり、腕全体の力を使って振り下ろすことを繰り返していたが、合気道で教わった手刀の動きを真似て肘を固定し肩の関節を意識して振ってみる。振る速さはあまり変わらないが、振り終わった時に木刀を静止させるときの腕の負担が全然違う。
 あぁ、こういうことかもしれない。今はまだ肩から動かすことに慣れていないので、脇を締めていると窮屈に感じ動きにぎこちなさがあるのだが、それでも身体全体の機能から見れば断然動きやすいし、次の動作への余裕も出てくる。試しに「突き」の動作をしてみると、これまで腕が伸び切って不安定になってしまっていたのが、いくぶんか安定した軌跡を描けるようになる。

 すごく単純に考えると、手刀や木刀を振り下ろす動作は、身体を前進させながら手や木刀を伝い力が下に向かうことになる。この二つの力が、肩を使うことによって、腕の力だけでなく足が前に出ることによって生まれる「身体が前進する力」が加わり、より大きな力が生み出される。冒頭の一文は、このことを表している。

 こういう実感が伴うと、身体を動かすのは本当に面白い。