2019年2月2日土曜日

森岡正博『意識通信』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2002年。(初出:筑摩書房、1993年)

・現代の科学技術によって変わっていく、人と人とのコミュニケーションについて、それまでの形態の分析から「匿名性」「断片人格」「自己演出」を抽出し、制限メディアにおいてこれらがどのように表出するか説明する。
・情報を伝達するための「情報通信」に対する概念として、コミュニケーション(おしゃべり・交流)そのものに意味があることを指摘する。後者を「意識通信」として位置づけ、その特徴と生み出されるものについて論じている。
・人と人とのコミュニケーションについて、どのように関わっていくのか(倫理的な課題)と、変容するコミュニケーションがもたらすもの(文明的な課題)とを考察する。
・インターネットが普及するより前に、今のインターネットの姿と、いわゆる「意識通信」によってもたらされているものについて、1993年の時点で予測している(Netscape発売やYahoo!登場が1994年とされている)。この鋭い指摘と未来予想とが、本著の特徴だろう。一世代前から当時の通信方法を丁寧に調べあげ、その特徴をコミュニケーション論の視点からモデル化(意識交流モデル)する。これを土台に「ドリーム・ナヴィゲイダー」を創造したことについて、著者が当時20〜30年先の世界(今)を読み説いていたものといえる。

(以下引用)
24ページ:「匿名性」「断片人格」「自己演出」という三つの性質は、もちろん現実世界の人間関係の中にも存在する。しかし、それらが本格的に開花するのは、むしろ電話のような「制限メディア」の中での人間関係だと私は思う。
49ページ:匿名性が生き残る理由は二つある。ひとつは、人間が電話やパソコン通信などの制限メディアを使うことのこころよさ、楽しさ、面白さ、くつろぎ、魔力を知ってしまったからである。もうひとつは、それらの制限メディアの利用を通じて、もうひとつの虚構の世界に、もうひとりの私となって参加し、コミュニケーションをする快感に目覚めてしまったからである。人間がこれらの快感を手放すわけがない。
56ページ:究極の電子架空世界(は)(中略)この現実世界で実現することが困難だったり不可能だったりする様々な欲望が、人工的にかなえられるユートピアなのである。
同:しかしそのようなユートピアは、決して人間を幸福にはしないだろう。というのも、多くの人間のこころの奥底には、「自分の力ではコントロールできないものに出会うことによって自分を変容させたい」「自分の力を超えた存在者に出会うことによって救済されたい」という、もう一つの本性があるからだ。人間のコントロール欲望をどこまでも追求する架空世界の住人たちは、自分たちの内面に潜むこの本性を徹底して抑圧することになり、<快楽は得られても幸福は得られない>という不毛の病理に陥ることになる。(生命学の視点・無痛文明)
116ページ:(意識通信は)コミュニケーションのための「場」が成立し、その場は参加者たちのこころを包み込んだまま徐々に変容してゆく。このような「場の形成」と「場の変容」こそ、意識通信の本質で(ある)。(レヴィン「生活空間(フィールド・セオリー)
132ページ:意識が他者の人格へと流入し、混ざり合うことによって、他者の人格の形態は変化し、同時にそのリアクションによって私の人格の形態もまた変化する。意識通信の本質である人格の形態の変化は、交流人格の触手の触れ合いと、お互いの意識の交流によってもたらされる。
174ページ:社会の無意識が、活性化して我々のコミュニケーションに介入しているような状態の「意識交流場」のことを、我々は「社会の夢」と呼んでいいではないか。
(あとがき)
241ページ:人間が生み出したテクノロジーが、人間と社会それ自身をどのように変容させてゆくのかという問題意識である。あるいはそのようなテクノロジー環境のもとで、人と人とがどのようにコミュニケーションし、関わってゆけばよいかという問題意識である。そしてそれらは、人間の存在をさらに深いところで支えている「生命」や「自然」や「文明の深層」へのまなざしを要求する。
245ページ:「意識通信」で重要となるのは、心の癒しであり、意識の変容であり、社会全体の夢の活性化であり、ドリーム・ナヴィゲイターの誕生である。
248ページ:電子メディアが社会全体に浸透するようになったら、これば、われわれの集合的な無意識と密接な相互交流をすることになるはずだ。