2010年2月12日金曜日

雑記100212

2/11
休日に、本当に休めるようになった。
これまでは、なんだかんだ言って、PSWの通信課程や国家試験のことが頭をよぎったため、いつも何かに追われている気がしていたが、そのタガが外れたような気分。
娘のしつこさにも、飽きるまで付き合ってやれる(付き合ってもらっている?)のが、たのしい。
今まで、読もうと思っていた本も、バリバリ読めるのが、楽しい。
 
2/10
性に関する個性に対応する。
男・女の選択肢に「その他があったらいいのに」とのこと。
 
仕事でもプライベートでも、「あなたのことは『わからない』」ということはある。
もちろん、障がいのある方と話す機会の多い自分は、その全てを体験することは不可能である。
そんな場面に直面したときに、専門家としてとりうる行動にはいくつかパターンはある。
大きくは二つ。
「とりあえず」を優先するか、「本人に寄り添う」か。
Iyokiyehaは、時間が許す限り、後者でありたいと思うが、職場というクライアントがある仕事である以上、完全に寄り添うことはできない。
 
そんな場面を経験して、思うこと。
それは、「自分に経験がない」ことが、相談(やケースワーク)を進める妨げになることはほとんどなく、実は経験がないことによって「あらかじめ自分に落としどころが作れない」ことへの、専門家として不安(予測がつかないことによる心配)が、自分の発言に自信をもたせない理由になっているのではないかと思う。
つまり、「自分にとって『わからない』」状態にある方を目の前にして、「どうするか」の予測をもって対応できないことによって、その人との間で創られていくものに気づかず、何も生まれないと思い込んでしまうことが、専門家として、組織の看板を背負った身として適切なのか?という、自分自身への問いとなって、自らに自信がなくなってしまう。
 
こういうことなのかもしれないと思った相談場面でした。
一つ一つ、ですね。
 
2/9
立場が違えば、見方も変わる。
私は「いい」と思っても、相手は「そうでもない」と思うこともある。
相手に決定権があれば、世の中は「そうでもない」で動いてしまう。
 
「カウンセラー」という肩書きをもって5年。まだまだだけれど、「人と話をする」ということに対してはこだわってきたつもりだ。
現時点での到達点は、「言葉は、相手の捉え方次第」ということ。
特に取り決めがない限りは、「相手の理解が全て」ということ。

2/8
文章は、無駄を省くと、言葉少なくストレートに伝わる。
無駄の省き方は、
1.主語、述語の明確化
2.言葉に意味を凝縮する
これだけで、随分変わるもの。

2/7
5週間半ぶりの美容院へ。
普段、4週間サイクルの散髪なので、ここまで伸ばすとさすがにひどい。ヘルメットをかぶっているような髪型になってしまった。

実は最近、後頭部に一円玉弱の脱毛を発見。
できものができて、小さなハゲができることはよくあるので、あまり気にしていなかったのだけれども、カミさんに確認してもらうと「いつになくひどい」とのこと。

美容院では自己申告で、「ハゲがあるので、できるだけ目立たなくできます?」と。いつも担当してくれている方も困った顔。とはいえ、さっぱり切ってくれていても、まぁ目ざとく見なければわからないくらいの仕上げにプロの腕前を見た気もする。

散髪中の雑談で聞けば「二、三ヶ月前のストレスとかがでてくるらしいですよ」とのこと。、、まぁ、職場でいろいろあった頃ですね。ばっちり。
心身共に健康でありたいもの。朝の生活を、少し整理しようと考えた一日でした。職場は、相変わらずですがボチボチ。