2009年10月11日日曜日

雑記091011

10/10
気づいたら10月。
埼玉在住東京勤務となり、早半年。
職場では「昔からいる人みたい」と、解釈が難しい評価を受け、仕事では事業主支援にどっぷり浸かり、結構有名(らしい、を含む)な企業の障害者雇い入れ支援を幾つも抱えたり、管理職向け役員向けの講師をやってみたり、通勤は関東のサラリーマン体験を地でやってみたり、生活では子育てパパを満喫してみたり、カミさんとケンカしたり、PSWの国家試験のために受験生みたいな勉強してみたり。
仕事で引っ越すのは三回目で、それぞれ変化があるなぁとしみじみ。

視覚障がいを持つ方の支援を担当している。
職場適応の向上を支援するのだが、問題となるのは音声出力ソフトとグループウェアのマッチング。
とりあえず、今回の職場はそれらを含む環境がイマイチ。
望みがあれば、積極的な調整、支援を展開するのは信条だけれども、支援チームのある方から、視覚ハンデに関する対象者のメンタル面に対する意見を受けて、熟考。
音声出力に限界があるならば、残存能力で、と一般的に考えていたところに、対象者の感情面を考慮したことで、Iyokiyehaにはこれまでと全く異なる、超現実的な方針が浮かぶ。
驕っていたつもりじゃないけれど、まだまだ未熟であることと、死角が常に存在することを、改めて実感した。


10/9
完全に寝不足。午前中の出張が予定通りに終わったので気が抜けたのか、東京から逆方向の山手線に乗車。
さすがに、3時間睡眠では仕事にならんか。昨晩は結局午前様。越県通勤の怖さを知ったよ。夜更かしはお肌に悪い。

「沸点を越えると、全てが変わる」
購読しているメーリングリストに書かれていた。99度と100度ははっきりと違うのだと。
そこに到達するために
「妥協なく仕事する、妥協なく勉強する。妥協なく、知力・体力・精神力・その他の資源を叩き込む。
そこから【 沸点に到達することで得られる爆発的な力 】を手に入れることができるのではないか。」
とあった。


国家試験対策なるものに、週末通っているのだが、勉強のリズムは既に破綻しつつある。
全く過去問にもテキストにも手がつかない。
仕事とのバランスが、やっぱり悪い。

とにかく眠い一日だった。



10/8
朝は台風で足留め。昼から夕方は次から次へと仕事が舞い込みイライラ。
こういう日はロクなことがなく、帰りは東上線が止まる。ますますイライラする。

朝も待てずに、日暮里から上野まで歩いて出勤したのだけども、電車でどこでもいけるけど、電車が止まると目的地がうんと遠くなるのが越県通勤の弱点。別ルートも確保しなきゃいかんのですね。反省。

そういや今日は変な電話があったなぁ。
ああいう人って、日々何を考えてるんだろうね。

あー、今日の帰りは何時になるんだろう。。


10/7
contributionをベースとした人脈プラットフォームを作るとしたら、どうしたものかなと。
本田直之『レバレッジ人脈術』を読んで考える。東京で働いているのであれば、ちょっとした仕掛けを実行すれば、化学反応は起こるだろう。
方法は様々。少しブレストしてみよう。

援助者として、大切なこと。
それは、自分の思考を整理した上で、それを手放さないようにしつつ、相手にどこまでも合わせていく柔軟さだと思う。
唯一無二の尺度を振り回すだけでは、必ず衝突する。
人に対して「支援」する時には、中立、並列が原則。


10/6
仕事を残して帰ることの抵抗が少し減ったかもしれない。要は考え方一つ。結局今までも、残り全くなしで職場を離れられたことなんかほとんどないわけで。
突発的に動くケースはザラ。
いかに対応していくかっていうことが、全体を見渡した時に、とても大切なことだと思う。

ちょっとしたヒントや情報収集のために、同期の協力を得る。
レスポンスがいい人もいて、助かるし、ありがたい。
ちっちゃな貢献(contribution コントリビューション)のやりとりが、やがて大切な人脈になると思う。
遠くても身近な人、大切にしようと思う。


10/5
新潮社『Forsight』を購読しているが、最近ウイグル自治区の話題が毎月掲載されている。
注射針テロ、大頭棒を使った暴力行為など、読んでいるだけで目を覆いたくなるようなことが記事になっている。
数年前、スーダンのダルフール地方に関する記事が細々と掲載されていて、しばらく後に国連でも検討事項として取り上げられた。
テレビでの扱いは小さく、そのうち話題にもならなくなってしまったのだけれども、雑誌では未だに記事が掲載されている。
ウイグル自治区のことはどんな扱いになっていくのだろう。そして、Iyokiyeha個人として、国際的な課題にどう関われるかということを、最近考えるようになった。

カタルシスということが、確かにあるようだ。
ただ、自分が話しただけで楽になったというよりは、話しながら自分はこう考えていた、ということがわかってスッキリするという方がしっくりくる。
あぁ、もっとハッキリと言いたいんだなということを実感。「支援」へのもどかしさと、事実の見えにくさ。「誰が誰に何を?」と、もっとハッキリ言ってもらわないといかんのだろうな。反省。

最近、またよく思い出す。
何を考えて準備したんだろうなぁ、とか。


10/4
家族で水子貝塚公園へ。
近所にこういう広い芝生の公園があるのはうれしい。
子どもができてから、こういう場所へお弁当持ってでかける「だけ」で楽しい気分になれるようになった。
不思議だけど、これも趣味・嗜好の変化と、「日常のごくあたりまえのこと」が愛おしくなったことなのかもしれない。