2007年5月27日日曜日

職業選択と「天職」

 「天職は周りが知っている」

 先日、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」の番組の中で、装丁家鈴木成一氏の言葉が響いた。
 天職があるかないか、まがりなりにも労働行政の末端で、求職者に「仕事とは?」みたいなことで相談に乗る仕事をしている私にとっては、無条件で納得させられる言葉であった。

 求職者の相談の中で、私も一応「希望する職種はありますか?」と聞く。カウンセラーの仕事を始めて1年目、2年目の初めくらいまでは、その答えを起点に相談を始めていたが、今ではあまりそういうことをしない。せいぜい相談も終わりに近づいて、ざっと確認をする段階でこの質問をして、後に「どうしてもその職種じゃないとだめっていう理由はありますか?」などの質問を加える。

 学生時代には、私も「天職」みたいなものを探していたのだろうし、周囲にも「合った仕事」を探したり、一歩進んで「これが天職」みたいなこだわりを持った人も少なからずいた。彼ら彼女らの多くとは、あまり連絡を取らなくなってしまったが、今は何をやっているのか気になる。
 そういえば、私にも「この仕事は『何か』抵抗がある」と、好条件のお誘いを断った経験がある。今となってはその選択は正解であったのだが、振り返ってみれば先方には何て失礼なことをしてしまったのだとも思う。そして、私を支えてくれていた多くの人は私のことを「何て青臭い奴だ」と思ったことだろう。それでも私のことをよく知っている人は「あぁやっぱり、Iyokiyehaだもんなぁ」と苦笑いをしていたに違いない。
 だから私は「好きな仕事を見つけてください」とは相談の中でも、講習の中でも言わない。というか、言えない。希望を起点に進める就職活動もあれば、求人から始める就職活動もある。私の場合は、半々だが、今の仕事に就いたときのことを考えるとやや後者よりだったのだろう。

 少し話がズレた。「天職」の話。私には、今のカウンセラーという仕事が私にとっての「天職」かどうかはわからない。でも、嫌なことや面倒なことがあっても、それを半分は楽しみながら生き生きと仕事ができているという自覚はある。だから、この仕事が「天職」かどうかは、上司であったり先輩、同期、後輩、ひょっとしたら嫁さんや友達、家族が決めてくれることかもしれない。私の思考や努力の及ばないところで決定されることだと思えば、それが私にとって「天職」かどうかは、どうでもいいことじゃないか。そんなことを考えた番組であった。