2007年5月21日月曜日

庭のドクダミ

 現在の住まいは庭付き一戸建て(社宅)。学生の時にはそれがいいとか悪いとか全く考えていなかったし、実家がいわゆる庭付き一戸建てだったので、引っ越すまでは特に何も考えていなかったのだが、住んでみるとなかなか快適ではある。窓が多いので、今の季節なんかは網戸にしておくと気持ちいい風が入ってくる。

 この庭付きというのが、ゆとりと同時に仕事を増やすものだなと思い始めた。おそらく、暮らしにいろんな意味でゆとりがあるからそういうことを考えるのだろうが、具体的には庭の草取りである。別の県の社宅に住んでいる会社の同期から噂では聞いていたが、ドクダミという植物がなかなか曲者である。
 GW前に、独特のニオイをガマンしながら一通り、ビニール袋10枚分くらいのドクダミを抜いたところだが、もう新しい葉っぱが庭一面に顔を出している。薬にもなるような植物だから、全てが全て悪い葉っぱではないはず。それでも、一度でも掃除したことがある人ならわかるだろうが、あの独特のニオイに囲まれてブチブチと手作業で掃除をしていると、30分くらいで滅入ってくるのも事実である。
 先日、実家に帰った時に両親にこの話をしたところ、父親から「表面の土を10cmか20cmざーっと掘れば生えてこなくなるぞ」と言われたので、今日の掃除では、どぶさらいに使う鍬のようなものでガリガリと土を掘ってみた。おそらく5cmも掘っていない(掘れない)だろうが、幾重にも張り巡らされたドクダミの地下茎(?)がすぐに姿を現し、いくら掘ってもそれが続いている。何たる生命力、というか、種を残すという生物としての本能に忠実、そして我々人間と同じように、とりあえずの安全が確保されるならばいざというときの保険を幾重にもかけておく周到さが見え隠れしているようにも思えてしまった。敢えて人間として驕ることを許されるのであれば、「敵ながら天晴」と言いたくなるような、そんな生命力を見た気がした。

 とはいえ、日常生活の庭掃除をする一旦那から言えば「このやろう、生えてくるんじゃねぇ。耕運機で根こそぎ掘り起こしてやろうか?」となるわけで、私も自然人にあこがれる社会人なのだなと思った昼下がりだった。