2020年3月8日日曜日

前川喜平『面従腹背』毎日新聞出版、2018年。

・出版されたことを知ったときに、タイトルを見て思わずニヤリとしてしまった。
・公務員として思うところ、持ち「続ける」べき信念について、元文部科学省官僚として思っていたことを語っている。やりたいこと/やりたくないこと、やるべきこと/やるべきでないこと、これらが必ずしも一致しないことがある。公的機関の多くの先輩が納得しない説明をするところを敢えて語っているといえる一冊。
・公務員である前に、日本人という個人である。
・自分の置かれたところで関わる専門分野と仕事の中で培われる専門性。その信念や理念は、政治によってしても曲げてはいけないことがある。それを見極める目と、知りつつ立ち回る術を養うこと、職業としての公務員のあり方の本質ってこういうところにあるのだと感じた。

■以下引用
7(メッセージ)組織の論理に従って職務を遂行するときにおいても、自分が尊厳のある個人であること、思想、良心の自由を持つ個人であることを決して忘れてはならないということだ。組織人である前に一個人であれ
14(面従腹背)本当の意味で「全体の奉仕者」になるためには、一個人であり一国民である自分自身に正直にならなければならない。一個人として自分は何を国に求めるか、一国民として自分はどのような国を望むか、そこを基点としてしか国民全体の幸福を考えることはできないのだ。
126(学問によってのみ真理・真実に到達できる)学問は、真理や真実に迫ろうと人類が積み重ねてきた営みである。それは「学問の自由」が保障される中でしか実現しない。自由な学問的営みの中で真理・真実により近いとされていることを、整理し構造化し、子どもの発達段階に応じて再構成したものが「教科」である。真理や真実は学問によってしか到達できないものであり、法律に書いたから真理なのだ、真実なのだなどと主張することはできない。
151(教育の原則)「『不当な支配に服することなく』とは『教育の自主性』『教育の政治的中立』という教育行政がふまえるべき大原則を継承」「『法律に定めるところにより』とは、単に手続き的な面で法律を根拠にして教育行政を行えばよいというものではない。法律の手続き的合法性のみならず、内容的正当性をもってはじめて法律による行政が成り立つものである。教育行政が恣意的に行われたり、権力的に実施されたりすることを避けようという趣旨。
160(道徳の扱い)人間の内面的価値への限度を超えた国家的介入であると考えざるを得ない。(中略)「個人の尊厳」と「地球市民」の視点が欠けている。
187(行政の権限)国民の代表者が作った法律に基づいて、政府が国民から預かっている神聖なもの
211(「眼横鼻直」がんのうびちょく)「眼は横に、鼻は縦についている」という当たり前のこと(中略)要するに、真実をありのままに見て、ありのままを受け止める、そうすれば自他に騙されることもなくなるだろうと、そういう意味です。
222(公務員のあり方)政治かと官僚の間には、ある種の緊張関係がなければならないと思う。どちらかがどちらかに依存してしまってはいけない。(役人生活の仕事は、1対4対4対1くらい)