2009年11月28日土曜日

雑記091128

11/27
どうあれ、人に指示を出す、人に動いてもらうのは、負荷がある。
「自分なら絶対やらん」と思っていることを、悪気なくやられてしまうのはたまらん。
疲労感、胃痛、別の軸へかける迷惑など、考えるとキリがない。

個人的には、職場で何かあると、全く関係ない家族に迷惑かけてしまう申し訳なさと、帰宅することそれ自体が嫌になるストレスが、一気にかかる。
時々、なーんにもしないで、全てほっぽらかして、どこかへ行ってしまいたい衝動にもかられる。

こういううんぬんを、家族にぶつけない仕掛けが、一杯ひっかけることだとも思うけど、そうもいかず。
この閉塞感をどう解消するか。当面の課題です。


11/26
Thanks giving dayだそうです。
あまり気にならないですが。

夕方、カミさんからメール。
「何がでる〜 豚肉と玉葱で〜」
(注:「おかあさんといっしょ」にこんなコーナーがある。だいすけおにいさんとたくみおねえさんが、箱に二つのものを入れると、それらが合わさったものが出てくるというもの)

・・・き、気になる。

とはいえ、今日は超過勤務に入ってから計画書を三人分、過ぎ去った出張の命令伺いを2週間分、その他もろもろをやらねばならず、気にしつつ仕事。

カツ丼?野菜炒め??

3歳児に分かるわけなーい、と思いつつ。
帰る前に、カミさんに電話。
「何が出たの?」
「・・・串カツ・・」

なるほど。

か?

このコーナー、本当に無理があって、Iyokiyeha的にはすげぇ面白いんだけども、おかあさんといっしょの抽選を勝ち取ったこどもたちにはどうなるんだろう?と要らんことも考えてしまいます。
いやー、好きだな、おかあさんといっしょ。


11/25
目まぐるしい毎日。
ちょっと疲れているなぁ。
今は担当ケースが多すぎてしんどい。
動きすぎて書き物が全く間に合っていない。
システム上は9月末くらいから、Iyokiyehaは、あんまり働いていないことになっている。

にしても、支援の内容は「創る」ことなのだなぁとつくづく考えさせられる。
話を聴くことで、クライアント自身(障害者であれ、事業主であれ)に気づきを与える。
困っている人は、自分の頭の中がこんがらがっていることがほとんど。
こんがらがっているものは、見える形(物理的でなくとも)していくことで、「なんとなくの解決策・落としどころ」が見えてくる。
支援の項目と具体的な計画は、この「お互いに見えているギャップをどう埋めるか・調整するか」という視点で立案される。

電話依頼じゃ「どうしようもない」状況でも、話を続ける内に自ずと整理されてくる。
不思議なもので、こういう状態に直面すると、Iyokiyehaの役割って何だろうなとも思ってしまう。
胸張ってやる仕事ではあるけれど、その専門性ってホント言語化しにくい。

・今日の勉強
戦後社会福祉は、戦争によって国民の多くが貧困状態に陥ったことに端を発する。
3法体制とは、
生活保護(最低水準の生活を維持)生活保護法
孤児対策(親を戦争で亡くした子どもへの救済)児童福祉法
身体障害(戦争被害者の救済)身体障害者福祉法
社会救済の覚え書き-1951社会福祉事業法


11/24
脳の処理能力を上回るジャンクなものがIyokiyehaのワーキングメモリを占有しているような気もしている。
無事、研修に行けるのかどうかも心配。
噂通り、研修には宿泊がつかず、諦めが入っている。
凹むなぁ。

依頼人の「オススメ」は、そんなにオススメじゃないことも実感する。
こちらの思惑は次々と裏切られる。
そうした調整もまたワーキングメモリを消費しているのだろうなぁ。

天気も悪いので、頭の働きそのものが悪い。
早いところ休むとしよう。

帰りの東上線。
酔っ払いが大声で隣に座ったおじさんに絡む。
近くに乗っていた若い兄ちゃんが、今にも手が出そうな雰囲気でも負けず、襟首掴まれながらも駅まで見事に時間を過ごし、車掌さんと共に酔っ払いを駅で降車させる。
交渉の場でどこまでも粘る時の自分と重なりながらも、腕っぷしのない自分には到底できないことだと割って入った男性に脱帽。