2009年11月22日日曜日

二人称を越えて伝わるもの

先週、ニュースを賑わせた「事業仕分け」。
報道の様子を自分なりに追ってみて、自分の仕事をふりかえる。

誰が何を言おうと、公的機関で公金を財源とした業務に就いている身として「効率とは何ぞや」と考える。
とりあえずの結論としてたどり着いたのは、「Iyokiyehaが直接仕事しなくても、Iyokiyehaの仕事を知ってもらえて、伝えてもらうことができる仕組みを、どうつくるか」ということ。

カウンセリングはIyokiyehaの持つ専門技能ではあるのだけれども、今の仕事でそれだけを磨けばいいかというと、そうじゃないのではないか。
目の前の人の内側に火を灯すことがあってこそだけど、そこで満足せずに、飛び火するくらいをやらないと。

例えば、本当に感動した時って、その事をつい人に話したくなる。
それと同じこと。
目の前の人にメッセージを明確に伝える。
工夫して、わかりやすいことはもちろん、「目からウロコ感」を付与して、相手を超えて思いを突き抜ける。
伝えた相手から思わず他へと伝わっていく。
世の中を変えるインパクトは、カウンセリング、ケースワーク、講演他全ての支援を通じて、それくらいの種を巻き続けることによってでしかありえないのではないだろうか。

資料の使い回しを悪いとは思わないけれども、高次脳機能障害支援をとにかく「メモとらせる」でまとめ続けるスライドに違和感持たない人も微妙だし、作成者に遠慮してそれにいれないのも微妙。参加者アンケートの結果が悪いことを、指示された内容に起因させるだけじゃ、何も変わらないと思う。

それを「効率的」と言うことへの反論の根拠として、「広がらない内容にしかまとまっていない」と言い切ることができるだろう(言わないけど、大人だから)。

次のステージへの、一つのとっかかりになりそうだ。