2012年1月15日日曜日

ストレスの構造的特徴と学んだこと

某組織の方が自首してきた理由の一つに「時効がなくなったことを知らなかった」のではないかという可能性も否定できないなぁと思うIyokiyehaです。どうでもいいことなんですが。
さて、先週は軽いパニック状態だったんだと思います。仕事柄、普段は割と突発的な事項には対応しているつもりですが、キャパを超えたことに気づいてヘルプを出したところに更に突発的なことが重なってきて、ヘルプを出す間もなく追い込まれていった感じです。それもどうにもテンションが上がらない(個人的に無意味と思う)作業が大半を占めていたため、如何ともし難く、最終的には更にケツをまくることになり自分が突発的なヘルプを出すことになるという最悪な結果となりました。凹んだなぁ。
こんな状態で、ひどい仕事をしているくせに、クライアントさんが「報告だしたら迷惑をかけるんじゃないかと思って」なんて言うのを聞くとついつい上から目線になってしまいがちな自分がいることにも気づき更に自己嫌悪です。ホントはその背景に何があるのか探っていかないといかんのだろうけど。
外的なストレスが引き金となって、内面のストレスに気づいてしまい、ストレスが増大されてアウトプットに支障が出てくると、その状態に対するストレスも上乗せになってしまう、そんな構造があるんじゃないかな。幸い私には話を聞いてくれる家族がいて、そんなことお構いなしな家族もいて、愚痴を言ってしまえる友人がいて、最終的には職場で助けてくれる同僚・上司がいる環境だったので、今回は体調不良に至らずに済みました(ダブルブッキングの疑いがありましたが、先方の間違いです・きっぱり)。でも、こういったことが体調に影響してしまうと欠勤が続いたり、出勤できなくなっちゃったり、治療を受けなければならない状態になってしまったり。
「定期的なミーティング」って言うは易し、しかし本来の意味や狙った効果を挙げるのは一工夫必要です。逆に定期的な打ち合わせの場がストレスになっていたりすることもあるんじゃないかな。構成メンバーが悪いなんてのは論外だけど、メンバーがよくても検討がかみ合わないとか、意思決定の場になっていないとか、提案を検討することもなく流されてしまうとか。
ただ、こういった状況から学んだこともゼロではなく、切り抜けて振り返った時にいろんなことが見えてくるのも事実。人に押しつけるわけではないけれども、Iyokiyeha的には多少苦境におかれた方が学ぶことが大きいみたいです。とはいえ、得てして「周りが意図していないこと」がひらめいてしまうのだけれども。
目の前にあることに集中した結果学ぶことって、すごく血が通ったもののように思うのだけれども、客観的には根拠が明確でなかったりするんですよね。でも、それもまた楽し。やっぱり私は逆算思考だけじゃ納まらない人間のようです。どうでもいいことなんですが。