2021年3月6日土曜日

「生きたい」かなえて 毎日新聞 210227

  長野市内で一人暮らしをしているALS患者が、自治体に重度訪問介護の利用を求めるが、その支給決定ができないとの判断をされたことに対する意見と取り組みに関する連載です。結論としては、自治体が重度訪問看護24時間の支給決定を認めたことで、裁判は終結しています。


https://mainichi.jp/articles/20210227/ddm/012/040/140000c

(「生きたい」かなえて 公助願うALS患者門前払い)


  自治体が支給決定を認めなかった理由として<福祉の考え方の基本は「自助」→「共助」→「公助」です>という論については 、違和感があります。自治体のこの主張には、自助・共助・公助が同一線上に並んだ概念としてとらえ、「足りないなら公助へ」という意思が透けてみえます。この立場にあれば、「自分や周囲ががんばってなんとかなるなら、法定サービスの支給決定はしないよ」というのは妥当な考え方にも見えてくる。しかしながら、「法定サービス使う前に、自分でなんとかしてね、家族やご近所さんに助けてもらってね。何とか助けてもらってね」というのは福祉の本旨に合致するのだろうかという疑問が生じる。

 自助・共助・公助の考え方は、それぞれのサービス(や支援)の形式を表しているのであって、それぞれは重なる部分がありながらも、その対象や内容は大きく異なる、というのが個人的な見解です。守備範囲が違う、その内容も違う。ただし、公助としての福祉サービス(法定含む)はこの部分はしっかりやるよ、制度的にはこれらの組み合わせで、生活の維持はできるようになっているよ、というものだと思います。この事例であれば、地域の事情で「介護者がいないから、サービス利用は少し待って」はあったとしても、「支給決定しない(サービス使えないよ)」は妥当ではないと思います。実際の現場ではもっといろんなやりとりがあったのだろうとも察しますが。