2012年6月3日日曜日

石井山竜平編著『東日本大震災と社会教育』国土社、2012年


学生時代から現在もお世話になっている先生が上梓された書籍ということで手を取ったのがきっかけでした。「社会教育」の複数の観点から東日本大震災を表した本著について、何がいいとか悪いとか評価をすることは難しく、なんというか生活綴り方(でしたっけ)の実践を思い出させたというのが率直な感想です。
編著者との接点がない方、それでも震災のことについて何らかの想いを持った方がこの本を手にする機会のある方となるのでしょうが、その人達が本屋さんやAmazonなんかでこの本と出合うのかはちょっと想像が難しいです。

前置きが長くなりましたが、本著の特徴は様々な立場で被災された方々が、(被災直後の支援活動を経て)復興に向けて取り組む際に、社会教育という視点からどんなことを思い、考え、生活しているのか、ということを率直に表現した文集のようなところだと思います。
文集などと書いてしまうと小学校の卒業文集みたいなものを思わせてしまうかもしれませんが、そうした集合体ではありながらも内容は迫力のある現場の生の声によって構成されており、各著者の言葉にはそれぞれの重みがあり、専門性が感じられるものばかりでした。

冒頭で石井山氏が、巻末で谷口氏が述べていることでもあるが、本書の内容はそれ単体で何かを論じているというものではなさそうです(一部専門的な観点から価値づくりをしている箇所もありますが)。震災直後と震災から1年が経った現在とでの住民の思いや行動の変容、被災した個人内の変容と希望を記録し、次につなげる、新しい住民自治を改めて考える、更に言えば復興というキーワードでもって立ち上がってきた東北の住民学習から読む人が素直にエンパワメントされ学ぶ、というものであると思います。



以下、雑駁ですが各著者分で日々Tweetしたものを乗せておきます。


石井山竜平氏。被災地で当事者としての側面を持つ編著者によるアクションリサーチの軌跡。「私」の思いを響かせあう活動から「私たち」というキーワードが導かれる。自立しなければという意志とボランティアに対する思いのジレンマ。

佐伯一麦氏。何気なく使っている言葉に込められる背景。その根底が覆されることで「言葉を失う」こと。「明日」「約束」「空文字」あたりまえに「ある」と思っているものと、消えてしまうもの、消えてしまったもの。
被災地で当事者としての側面を持つ編著者によるアクションリサーチの軌跡。「私」の思いを響かせあう活動から「私たち」というキーワードが導かれる。自立しなければという意志とボランティアに対する思いのジレンマ。

澤村範子氏。情報は一瞬で広まる、情は醸成されるのだと思う。「まもり」「まなび」から「つながり」へ。直接支援ということだけでなく、思いを出せる場「プラットフォーム」の企画。

野元弘幸氏。大船渡市赤崎地区における防災訓練の実践。宮城県の同規模の地区で津波被害により850人の犠牲者がでたのに対し、赤崎地区では45人に留まる。日頃から特色のある住民主導の避難訓練を実施していたことに起因。

綱島不二雄氏。津波被害からの復旧・復興という「津波」。復旧・復興の主役は被災者であるべき。特区や創造的復興は上から目線の行政対応と批判を加える。それぞれの業種が工夫をこらしている。それらをつなげた復興を。

田中真理氏。障害のある子どもたちの反応は、伝え聞くところから心配はしていた。当時利用していた宿舎に空き部屋があったので組合を通じて非難住宅として使ってもらえたらいいと思っていたが実現はしなかった。自助、共助、公助。安心できるのは3つがかみ合っていると実感できるとき。共助の延長線上に制度としての公助がある。自助に関しては共助からのアプローチもあるが、基本的には自らの取り組みによる。

田中潮氏。「復興」という言葉に潜む悔しさと悲しみ。津波によって失われたつながりと、青年団活動によって広がるつながり。演じることによって「楽しさ」を伝えたい、決して被災地だけのためのものではない。

鈴木歩氏。被災直後には正確な情報が共有できないことが課題となり、徐々に被災者のニーズが変化し多様になることがある。公民館職員もまた被災者である。できることとできないことがある。改めて考える自助・共助・公助。

中尾美樹氏。避難所となった市民センター。収容・集約の役割。避難所の運営と並行して、避難所の外ではサークル活動などの日常が戻ってくることについて「これでいいのか」と思う職員の感覚。

澁谷まゆみ氏。避難所となった市民センターでの出来事。震災直後、被害が少なかった市民からの利用問い合わせに対し「全館閉館」を決めて避難所対応をしたことについて、行動を起こそうとしている人達への支えに関する問い。

佐藤真氏。思わず絶句した。「物がなければ、人はつながるんです。家族も地域も。求める姿はそこにありました」他。一人称で被災者と向き合うこと、人と向き合うことは何事にも変えられないものであることを知る一節。

馬場照子氏。地域のつながりを仕掛ける活動。完全無償の活動への批判に対し「立ち上がり方はそれぞれ違う」ことを貫く。自立、復興、絆という言葉から感じられてしまう強制力。生活の中にお母さん的なものがあってもいい。

齋藤緑氏。りんごラジオのパーソナリティ。ラジオ番組を通じて元気をもらう感覚。時間が「ある」ことが不安になる感覚。被害が甚大で何をすればいいのかわからない状況と、支援の輪があることのジレンマ。

伊藤拓氏。NPO法人JENの活動。心のケアと自立をモットーとし、現地の人達の力を活かした復興支援を展開する。炊き出しで地域のつながりを維持・強化する。炊き出しを引き継ぐ団体の存在やカフェがプラットフォームに。

小林純子氏。災害子ども支援ネットワークみやぎの活動と被災地における子どもの実態。震災によって失ったものはかけがえのないもの、早急に代わりのもので埋められるとは思えない。押し殺された子どもの思いと人権感覚。

池上洋通氏。主権者としての国民と主権者たるための学習・研究としての社会教育。施設の役割を問い直す。「労働を含めた社会的営みのすべてで人々が学びあっている」復興を目的とした豊かな学びが各地にあることをつかむ。

佐藤一子氏。体験や経験を語ること。被災者のそれも学びあいだが、支援者が経験を共有すること。共有するしかけとしての演劇(アート活動)やワークショップという手法。重要なのは新しい意社会を創る学びとなること。

末本誠氏。学習活動は、人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体に変えていく。3・11後の学習にはこれまでとは違う視点が求められる。例えばバルビエのAC論。内側からエンパワメントされる暖かい学び。

谷口郁子氏。あとがき。首都圏の電源という側面。住民自治と対話を尽くすこと。文字にして伝えること。「悲しみと怒りの風景をもった人々が喜びと希望の風景を取り戻すには、一人ひとりエンパワメントも求められている」。


以上。