2012年6月28日木曜日

ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ著、「懐かしい未来」翻訳委員会翻訳『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』懐かしい未来の本、2011年。


以前フィルムを見たことがあったのですが、その時にいまいちピンとこなかったので、書籍で詳細つかもうと手にとりました。
http://afutures.net/

フィルムを見た時に感じたこと
・ラダックでの生活というヘレナ氏の実体験に基づく語りの部分は文句なしに面白い
・貨幣経済の流入による人々の意識と生活の変化を批判的に捉え論じるあたり、目新しさが感じられない
・結論としてローカルな生活に注目するというのも、私が野外活動に傾倒していた10年前とあまり変わらないように思った
と、語りの部分、ラダックの文化を紹介する部分は文句なしに面白かったのですが、フィルム後半で失速感がありました。

そして書籍。

揚げ足取りをするわけではないですが、やはり「ラダック・プロジェクト」と言っても、いわゆる先進国にある技術を導入しているのだという違和感は拭い去れませんでした。ただ、意図するところが従来の「開発」とは異なる、あくまで適正技術の導入だというところが印象的でした。
よく言われる「西洋・東洋の二項対立」や「貨幣経済」とは少し違う、第三の道を模索しているかのような取り組みのように読み取ることができました。
あくまでラダックの伝統の上に積み上げる技術なのであって、それまでの生活を壊して置く発想の開発とは違うというところがラダック・プロジェクトに代表される著者を含めた現地の活動の根底だということがわかりました。

非常に興味深いラダックの文化と、著者の経験を基盤にした提案によって構成されています。フィルムを見たときの違和感がいい意味で払拭されました。おそらく、私の受け止め方としてはフィルムによる制限(時間的なことや映像との兼ね合い等)により、本著でいうところの部構成(第一部:伝統、第二部:変化、第三部:ラダックに学ぶ)のつながりが見えにくくなり、論の飛躍を感じてしまい、結果として提言の部分が安っぽく見えてしまったのだと思います。
文化・伝統から謙虚に学ぶことの価値と、それらが変化していく(きた)過程を様々な角度から眺めていく。それらの分析と感じたことから率直に論を展開していく構成にも共感しました。


以下Teitterでつぶやいてきた内容を引用します。


「共生」窓枠がなければ次の工程へ移れないにも関わらず隣人宅へ持っていってしまう、「隣人の方がより必要としていたのだろう」。争いはほとんどない、よく話し合う。顔の見える「仲裁者」の存在。

「一妻多夫制」厳しい環境で子孫を残すための仕組み。不貞は「そんなこともあるよね」といったスタンス。事が生じた時にパートナーを「責める」ことの方が悪い。チ チョエン(何が大切なのか)を問う。

「空」の哲学(シャンニャタ)。万物は因縁によって生じている。そのものが独立しているわけではない。他のものとの関係を切り離して考えることはできない。経験の有無により言葉が変わる(断言)。

生きる喜びは内面から得られるもの。自尊心は自我の深くに根付いている。ケよりもハレを好むのは自然だが、それが環境によってもたらされるのではなく、周囲とつながった自分の内側から得られるもの。

変化。西洋の文化がラダックに入ってくることにより人口が急増し建物の建設が始まった。観光客が大勢やってくることにより外貨獲得の機会は増える。労働の意味、ストレスの存在、物欲に変化が生じる。

貨幣経済と時間に関する記録。機械を導入することにより半日かかっていた畑仕事が30分で済むようになる。そこには「一緒に仕事をする」感覚はない。浮いた時間で何をするのかということ。貨幣は依存を生む。

教育。西洋近代的な教育は伝統文化を忘れさせてしまう。新たな価値を「輸入」し、これまでとは異なる生活へと移行する。一方で教育なしに輸入したものを使うことによる弊害はより大きい。環境負荷等。

変化。経済社会が文化に入り込んでくると人々は孤立しがちになる。従来「お互い様」だったものが、「独りでも生きていける」という錯覚を生む。その人がどうかよりもその人が持っているモノが評価される。

白黒決められないこと。著者の16年のラダックの生活において、貨幣経済が入り込んできたことによる変化が大きいことは事実。対比の中で語ってきたことの自覚。重要なのは、「地縁」や「つながり」の意味。

人間関係。今の人間関係よりも以前のそれは「重くない」。「古い社会における人と人との結びつきや責任は重荷ではなく、かえって人に大きな安心を与える保証だった」。言葉の持つ価値観も変化している。

開発。生活水準を上げるために文化を破壊する必要はない。ラダックを例に、古来からの基盤の上に新しいものを積み上げていく発想が求められる。従来の開発の発想は、破壊して再構築する。
「開発」はGDPの増加を狙って行われる。その導入の過程には、ラダックの培ってきた伝統や自然の多様性は存在していないように見える。全ては「開発する」側、科学技術の常識が適応されてしまう。
人類は無限に発展し続けることができるという前提で勧められている。ラダックに限らず、いわゆる「先進国」もその対象。画一化、大規模化。イメージに合わない人達は例外として切り捨てられる。

カウンター・ディベロップメント。主流となっている従来型開発を抜本的に問い直しつつ、それとは異なる開発の在り方を目指すこと。開発の目的は人間の福祉。ハイテクよりも「適正技術」の発想。地域の知恵。

ラダック・プロジェクト。太陽熱暖房や水のくみ上げ。外部からの技術提供が適正技術の導入となる。導入にあたって、仕組みや維持のための知識付与をプログラム化して実施。選択するための情報が必要と判断。

エピローグ:
多様性。「純粋に何者にも妨げられない、生命それ自体への感謝」が喜びや笑い、幸福感と密接に関わっている。集中化・専門化が基盤となる産業社会の道とは別に、ありとあらゆるものがつながり、その土地の経済を補強する発想。
共同体。「ラダックの細かく編まれた社会構造は、抑圧的というよりもむしろ人間を開放する」。肯定的な自己イメージは親密・信頼に基づく継続的な人間関係が必要となる。現在の社会問題のほとんどは「機能不全家族」による。
回帰。直接的な経験により物事を考えること。女性的な思考へ。「私たちの未来への探求は、必然的に人間も含めた自然とのよりよい調和の中にある基本パターンに回帰する」。何千年も存在してきた価値観を再発見する営み。

その後:希望を織りなす。エピローグで語られた二つの社会潮流。有名な環境活動ですら、それ自体がモノカルチャーに陥る可能性を示唆。GATT、NAFTA、近年ではFTAといった経済協定が生み出す結果は注視すべき。知って選択する。

あとがき:
グローバルな経済活動がもたらすもの。生活圏の実感の欠如、人々の孤立、自然の軽視、家族・コミュニティの絆の崩壊。人間の本性が変わったのではなく、外圧によって「変えられてしまっている」ことにも気づけない。
均質化した社会では、多様性が失われ、ある尺度に基づいて熾烈な競争が生まれる。多様性を受け入れる度量のある社会では起こりえなかった感情が個人に芽生える。宗教的な抗争も根底には均質化を促す経済活動が横たわっている。
経済活動の指標としてのGDP、多国籍企業の経済活動を後押しする制度・補助金。全ては世界の均質化に向かう活動を促進する。政策立案者だけでなく生活者も、この構造に盲目であることに盲目となる構造的な落とし穴がある。
GNHによって世界の国々を評価すると、少なくともGDPを向上させようとする世界の構造とは違うイメージが生まれる。リアリティツアーにより「真実を知る」ことで自らの文化を再評価する取り組み。
ローカリゼーションをグローバルに展開することを推奨する。孤立・拡散を目指すのではなく、生活の基盤をローカル(地域)に根ざしたものとし、緩いネットワークでそれが広がっていてつながっていくための政策提言。

非常に興味深いラダックの文化と、著者の経験を基盤にした提案によって構成。フィルムを見て違和感があったのだが、いい意味で払拭された。文化から謙虚に学ぶ。