2010年11月16日火曜日

出産に立ち会ってみて

連絡が遅れていますが(理由は後述します)、先日11月14日に長男が誕生しました。
3567gというかなり大きめの赤ちゃんです。

今回は、実家からカミさんのお母さんが駆けつけてくれたので、Iyokiyehaも出産に立ち会うことができました(今回の病院は、LDRという陣痛室と分娩室が一緒になった個室で出産します。LDRの中には配偶者しか入れないという制限付き)。事前に行動パターンを考えていた時には「平日昼間でないと、立会いは無理」と思っていたのですが、まぁツイていました。

このあたり、本当に病院によって違うんだなと。
前回、娘の出産の時には、陣痛室までは親族が入ることができたのですが、カーテンで仕切られた空間ということや、いざお産が始まると分娩台に上がらないといけなかった(らしい)のですが、今回は陣痛がきて痛みを逃がしたりとか一緒にやっていて、そのままお産。このあたりも、病院のこだわりだなと思いました。

立会いしたパパが口を揃えて言うことですが、「何もできない」ですね。
だからといって、立ち会うことに意味がないとは思わないですが、普段理屈の中で思考し、選択し、行動している仕事の場であったり、そうでないけどとりあえずやりたいことをやっている休日の生活とは全く違います。
こうだから、こうする、という方程式は、一部の経験則(陣痛の痛みを逃がすのに、お尻を押さえるなど。でもこれだってコツが要る)以外は、その場の言葉にならない対話や、相手を慮った結果の行動にしかならんのだなと実感しました。
助産師さんの指示が的確だったので、(おそらく)邪魔にはならなかったのだと思います。お産が始まれば「お父さんは頭の上に行ってください~」「はーい」と。それだけ。
よく、手を握ったり、一緒に呼吸法やったりと聞きますが、それもその場ですよね。Iyokiyeha夫婦の場合は、陣痛の時は手を握っていたけれども、お産が始まったらベッドについている持ち手の方がいいらしく、手は握らず。呼吸法はIyokiyehaが中途半端にやると、なんだかやりにくそうだったので、途中から余計なことはせず、ちっちゃい声で「がんばれ~」と言っていた程度です。
もっと、ああして、こうして、ってやれれば「立ち会った感」もあるのでしょうが、そうでないのも立会いなんだろうなと(何でもポジティブに)考えることにしています。

にしても、本当にすごいなぁと思うのは、子どもの「出る力」と、母親の「出す力」です。
子どもの方は、「出たいと思ったら出る」と言われるけれども、本当にそんなタイミングだなぁと思う反面で、一体何考えて生まれてくるんだろうと、娘の時と同じことを考えます。娘は首に臍の緒が巻き付いて産道通ってきた苦労は買ってするタイプ(笑)なので、まぁ、羊水にのんびり浸かって臍の緒で遊んでたら、破水が来て羊水が減って焦って出てきた、なんて言っていますが、そもそも頭蓋骨を重ねてまで狭いところを通ってくる気になるのだろうか、と不思議に思います。
母親の方は、普通ありえない大きさのものを、お腹の中から産道通していくナビゲーターなわけで、よくわからない(だろう)赤ちゃんを正確に分娩する本能が備わっているのだと感じた次第です。日常生活の中では絶対に出すことのない力を出すわけで、身体へのダメージも大きいですよね。

小さな赤ちゃんを見てしまうと、ついついそちらに目がいってしまいがちなんだけれども、やっぱり落ち着いて考えると、妻ってすごいなと思うところです。
出産の第一声は「がんばったね」ですが、これは子どもだけでなく母親にも向けた言葉のつもりです。

素敵な場に立会いできました。
妻、子ども含め、みなさんに感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございます。