2012年11月1日木曜日

理屈と現実 現場に流れるエネルギーみたいなもの

物事の要らないものを捨てていくと本質が見えてくる、なんてことが言われます。だけど、現場第一線で大切なものって意外とその周辺を流れているものだったりすることってありませんか?

先日のiPS細胞研究の山中教授が「基礎研究が重要」といったコメントをしていたことも記憶に新しいですが、世に出るものは確かに純化されてシンプルであることが求められます。だからこの件を否定するわけではない。

私が仕事としている職業相談なんてものも、限りなくシンプルにしていったらもっと効率よくできると思います。
「はい、応募しろ、いけー」
「辞める?わかった、言ってこーい」
「困った?何とかなるよ、がんばれ」
最近目の前で繰り広げられている対応の一部で、私は若干腹が立っていることもあるのですが、個別事情はさておき。
昨日、仕事を辞めようかどうしようかと迷っているクライアントさんと2時間近く話しをしました。

結論は、辞めるか短時間・短期間で続けるか、ということで、相談初めて5分くらいで聞き取っていた内容に落ち着いたのですが、その後はこの結論に至るこれまでの人生やその自分なりの評価、ここ1~2年の状況やお世話になった人のこと、あるいは未来志向の夢や希望など、言葉は様々ですが「いろいろと」「長々と」「延々と」「詳細に」話を聞いていました。
すると不思議なもので、「仕事をやめる」というクライアントさんの結論が膨大な感情に支えられて表出してきたものなのだな、ということがよくわかってきて、更に夢や希望から逆算していくとなるほど今の仕事を続けることのメリットって何になるのかな?と率直に考えさせられました。

調子を崩して職場に対していろんな要求がでてきた状態で、企業側はその要求を飲んで動こうとしている矢先の出来事ですから、本来は施設改善の対応を評価して継続勤務、なんていう大人な対応が一般的だと思うのですが、ここまで話を聞いた以上、私の元々のスタンスは大きく揺らいでしまいました。

流されているのかなぁ・・・と思いつつ、迷いながらもIyokiyehaなりのプライドでスタンスを定めたところです。
でも、クライアントさんの成育歴とその評価や夢や希望まで様々聞いて揺らぎない方針に整理できているので、企業との調整も(頭葉痛いけど)やりやすいと思うのは私だけでしょうか。

余計なこと=結論以外の2時間の相談、とすれば私がやっていることは「=無駄なこと」になるのでしょうが、なんとなく無駄になった気がしないんですよね。自己満足かもしれないけど。