2013年11月30日土曜日

とりあえずのひと段落?

先日の投稿の内容に引き続き。。。

本日はカミさんの手術の日。
想定内の出来事でしたが、はい、大変でした。みなまで言わせないでください。

想定できない痛みに対する恐怖というのもは、事前にぬぐいされるものではないです。だから、しょうがない。

夕方に子どもたちと一緒に病院へ迎えにいってきました。
麻酔を強めにかけてくれたらしく(カミさんの要望でした)、かなり不快な気分のようですが、とりあえずは無事だったので何よりです。
私の方はというと、もう目の前にあることを一つずつやっていくしかない状況です。
週明けに論文1本、来週からは集合研修(途中、自力で宿泊予定)、業務がいろいろ中途半端。
それより大事な家庭においては、最低限の家事はしないといかんわけで、あと26時間で何をどこまでやろうかなって感じです。
とか考えていると、悪寒と頭痛とかしてきて、何か心配だし。

一分一秒でも惜しいのに、こういう時にしか更新できないというのも、考えさせられます。

2013年11月27日水曜日

なかなか、なかなかに・・・

こんな性格でも、結構ショックなことはあるもので。

三人目を授かったのですが、結局育っていないということで稽流流産との結論に至りました。
先週からそんな兆候があるのではないかと思われる検査結果に、カミさんが相当落ち込んでおり、自分も落ち込んでたらしょうがいないなと思うところもあって、少し気丈に振舞ってみたのですが、やはり結果がでてしまうと、自分の身体ではないけれどもぽっかり穴があいてしまったような気になっていることに気づきます。
育っていなかったということで、親としての不注意以外の理由というのが大方の見え方のようですが、原因はどうあれ残念な結果になってしまったことに、落ち込みは隠せません。

ちょっと、しばらくおとなしくしていようと思う出来事でした。

2013年11月3日日曜日

根拠の壁と組織の壁

夏から秋にかけて、週末をつぶして執筆してきたとあるマニュアル原稿がありました。
先日、その検討委員会なるものが開催され、これまで通りに内容の検討がなされたわけですが、3回の検討会を通じて話題を提供し続けた(=Goサインがでなかった)私の原稿の一番リキ入れて書いた部分は、バッサリとお蔵入りとなることが決定しました。
「なんだかなぁ・・・」と思うところと、「まぁ、しゃあないか」と思うところとが共存しており、晴れやかには到底なれませんが、次にやるべきこと(作業レベルではなく、意思のレベルです)がかなりハッキリ見えてきたのは、多分あの委員会の委員の中でも、私と極数名くらいでしょう。

研究者の本筋にいる人たちは、こういうことをじっくりじっくり積み上げているのだなと、改めて脱帽です。私は研究で飯食おうとは思いませんが、実践研究については重い扉を開けてみようと思っています。

お蔵入り原稿は、アップしようと思いますが、どうにもうまくコピペができないので、また後日。

2013年9月23日月曜日

リハビリテーションの4分野から見る職業リハビリテーション

レポートをまとめてみたので、抜粋してシェア兼ねてアップ。ご意見ください。

(1)医学リハビリテーション
医学的な考え方や方法により、障害(病気・変調・傷害など健康状態の変化によってもたらされた諸状態≠疾病)の除去・軽減を図ること
(2)社会リハビリテーション
社会生活力(Social Functioning Ability; SFA:様々な社会的状況の中で、自分のニーズを満たし、一人ひとりに可能な最も豊かな社会参加を実現する権利を行使する力)を高めることを目的としたプロセスである。
例えば①生活の基礎をつくる(健康管理、時間・金銭管理、家庭管理、安全・危機管理)②自分の生活をつくる(介助、福祉用具、住宅、外出)③自分らしく生きる(自己認識、障害の理解、コミュニケーションと人間関係、性・結婚)等のプログラム。
(3)教育リハビリテーション
年齢階層を問わず、障害児(者)に関して行われる教育的支援。
(4)職業リハビリテーション
(略)「それ自体は単独で成り立つものではなく、医学・教育・社会などで構成される総合リハビリテーションの一環」が協調されていることが特徴。

 日本における障害者雇用のきっかけとされているのは、戦後における大きな国家事業の一つとなっていた復員軍人及び引揚者の受け入れとされている。傷痍軍人の職業更正を契機に進められ、196012月の身体障害者雇用促進法(現行法である「障害者の雇用の促進等に関する法律(1987年)」の前身となる法律)制定に至った経緯がある。

 一連の制度整備の基盤とされたのが憲法第27条の労働権であり、障害者雇用制度は労働権の理念「国が、労働の意思と能力を有するものに対して、その労働を通じて健康で文化的な生活を営むことができるようにするための各種の施策を進めることを義務づけているものと解される」(遠藤政夫『身体障害者雇用促進法の理論と解説』より抜粋)ことに基づいて進められてきたとされる。また、社会福祉諸制度の原点とされる憲法第25条の生存権は雇用条件整備が進められる中で関わってきたとされる。

2013年8月26日月曜日

分類のイメージ

よくあるニーズにどう答えるかと考えて、なるべくシンプルにイメージ化しようと考え、先日浮かんだイメージを一気に図示したのが、こんなイメージでした。
身体の障害のイメージはあるんだけれども、精神の障害って一体何なの?という質問に対して、医学モデル(心身二元論・DSM)をフィードバックして作ってみました。

参考まで。
思ったことがあれば、連絡いただければありがたいです。


「精神障害って何ですか?」というそもそもの問いに対して、まずはイメージをもってもらうための図。

2013年8月24日土曜日

TULLYSにて

近所のコーヒーショップはスターバックスなんですが、出張時やちょっと休憩したい時、選べるのならばタリーズを選ぶ。小難しい理由はなく、ただ単にアイスクリームがあるから、アフォガードにしてくれるから(420円)。
この食べ方って、きっと日本じゃまだ未成熟なのだろうと思うけれども、コーヒー(エスプレッソ)が好きな人、アイスクリームが好きな人、どちらも多くの人が「うまい!」と言うと思います(混ぜ物が嫌いな人にはちょっと向かないかもです)。
以前はメニューの隅に「T'sアフォガード」とあったのですが、先日都内のタリーズに行ったらメニューからなくなっていました。店員さんに「アフォガードってやめちゃったんですか?」と聞いたら「いえ、できますよ。お作りしましょうか?」とにっこり。この辺の接客って、スタバが抜群だと思うけれども、タリーズも負けてない。落ち着いた雰囲気はまだ分があるように思います。
がんばれタリーズ。そして、アフォガードがメニューの目立つところに再掲載されることを心より願っております。
http://www.tullys.co.jp/


2013年8月23日金曜日

どうせやるなら…

別にやる気のない人に「やってくれ」ということはないんだけれど、最近思うこと。

どうせやるなら、ちゃんとやれよ

と思う。
言われてやっているからとりあえず行けばいいと思っているのかもしれないけれども、広く宣伝するから行けばいいと思っているのかもしれないけれども、パンフレットみたらわかると思うから置いてくればいいと思っているのかもしれないけれども、名前知っているから中身もわかっているかもしれないけれども、、、
これら、ぜーんぶ間違っているから。

結局、じゃあ自分がどれだけ他所のことを知っているのかと振り返ったらわかると思うのだけれども、相手先の職員さん、従業員さんよりもその相手先のことなんか知らないですよね?知ろうとしないと意外となーんにもわからないですよね?対話しないから「NPOなんて適当なところばっかりだ」なんて知った風な口がきけちゃうんですよね。相手のことを知るっていうのは、本気でそれに取り組まないといけないし、教えてもらうには自分のこともわかってもらわないといけないわけで。

対外業務をやるってことは、こういうことだと思うのです。
なら、本気でやろうぜ。相手にも本気になってもらって、こちらのこともわかってもらおうぜ。紋切り型の説明、パンフレットを読み上げたって、自分たちのことなんかわかってもらえないぜ。

と、そんなことを思うこの頃です。
意図的に対外業務を増やして、いろんなところに宣伝をかこつけて寄っていますが、いつも「へぇ〜、そういうことだったんですね」「あるのは知っていたけど、説明聞いたのはじめてです」「パンフレットは見たことあるんですけどね」と言われるばかり。どこもかしこも、宣伝先のリストに載っていたはずですけれども、結果そんなです。
戦略的に物事考えるなら、「紹介してもらっていないところ」を回るというよりは「頼りになる人をきちんと落とす」「落としたいところに資源を集中する」とか、いわゆる普通にやるべきことをきちんとやってほしいものです。

あぁ、だから最近疲れてるんだなl、俺。

2013年8月22日木曜日

コネというか人脈というか資源というか

何処へ行ってもそれなりにそれなりに仕事を目一杯やってきたからか、いざという時に助けてくれる人たちが、所属組織の中にも外にもいるという感覚は、何にも捨てがたい自分の財産なのだと思う。
それをコネというか人脈というか仲間というのか資源というのか、そんなことはどうでもいいけれど、大切なのは「困っていることを分かってもらえる人がいて、困っていることが分かる人がいて、お互いに支え合っている」ことなのだと思う。
接点なんて何でもいいのだと思う。先輩、後輩、距離の近さなんて関係なくて同郷であったり住所だったり年齢、趣味。距離を詰めたり保ったり。人間関係ってそういうものなのだと思う。だから疲れるし、だから感情に訴えかけるのだと思う。

2013年8月21日水曜日

現場にある「何か」

何か物事を記述したり、新しいものを作り出す時に、私が以前から大切にしているのはやはり現場にある「何か」である。
今の仕事でも同じことが言える。
山梨在勤時代は、地でそういうことをやっていたのだけれども、東京の激務に紛れてなかなか足が使えずになり、所沢にきても何だか空回り感があることに気づいたのがつい最近である。
いや、おかしいおかしい、うまくいかないとは思っていたのだけれども、改めて考えるまでもなく、外出することをあまり良しとしない管理とのやりとりを避けてこんな状態になるまで気づかないなんて、きっと自分の中にも何かおごりがあったのだろうと思う。
上が変われば組織が変わる、自分が変わればチームが変わる。
週1回は自ら外にでることを決めて業務に向かうと、やはり得られるものも変わってくるし、何より自分の中にイメージが、言葉が湧いてくるような感覚がある。何よりも現場を大切にしていた頃の感覚だ。
当時よりもスキルが上がっているのかどうかはわからないけれども、少なくとも今の仕事を始めた時よりは、仕事ができるようになっているのだから、そこにこの感覚を乗っけたらマズいわけがないと思う。
思うことを、またマメに書いていこうと思う。

2013年8月2日金曜日

鈴木雅彦『スマートフォンUIデザインパターン 〜心地よいユーザーインターフェースの原則〜』技術評論社、2013年。

鈴木雅彦『スマートフォンUIデザインパターン 〜心地よいユーザーインターフェースの原則〜』技術評論社、2013年。

門外漢ながら、知人殿が本書を上梓したという話を耳にしたので、とりあえず購入し読んでみました。
テクニカルなことは、ただただ感心するところと「あぁ、なるほど」と素直に読んで(読めて)しまったので、コメントうんぬんはおいておきます。
題名の通り、スマートフォンのUser Interface の仕組みと意味、そして工夫や改善方法についてかなり具体的な「実用書として」書かれています。スマートフォンのユーザーでしかない私でも、内容のおおよそのところは理解できたところを見ると、具体的な読み手を想定したいい内容なのだと思われます。

内容を追いながら何度か考えたことは、「これってプレゼン資料の作成と似ているな」ということでした。Webページの利用者を想定して、どんなアクションが期待されるのかを予想しながら、期待通りの動きをするように設計・制作していくその(予想する限りの)工程が、プレゼンテーションのそれと重なるような気がします。すなわち、プレゼンの対象者像を絞り込んで、その人たちが期待すること、または主催者が期待するアクションに結びつくように、情報を構成し最もよく伝わる見せ方をする、内容を絞り込むという一連の流れと資料作成のポイントのようなところです。
共通していえるのは、いずれも「(想定する)利用者との対話」があるということだと思います。

読みながら、スマートフォンユーザーの自分にも「あるある」と思う箇所がたくさんあって、その改善方略についての記載を読むと、某アンケートのページもこうなってたらいいのになぁ、なんて思ったりした次第です。

こういう機会でもないと読まない内容の書籍ですから、いい刺激になりました。

2013年7月15日月曜日

この2ヶ月

本当にいろんなことがあった2ヶ月でした。
失敗もあり、悲しいこともあれば、うまくいったこともあったり、怒りや楽しいことも様々に自分の前を通り過ぎていき、大変起伏の激しい期間でした。
雑記のノートには、その時々の感情が生々しく綴られているのですが、今更それらを公開する気にもならず、さりとて何もなしでブログに復帰するのも、と思ったので、ちょっとした区切りの意味合いの強い投稿です。
意に反する感情の動きは、そのものが思考の容量の一部に割り込んできて、知覚や認知、思考の統合やアウトプットといったそれぞれ様々な頭の働きのすべてに影響しているような感じになるものです。この状態を断ち切れずに悶々と内にこもっていくと「うつ状態」となるのでしょう。私の場合は、とはいえまだ回避可能な出来事の積み重ねであったことや、トラウマになるだけの関係ではなかったことが幸いしているのでしょうが、その都度感情がブレて疲れるけれども、自分の核心部分への衝撃には至っていないようなイメージの日々でした。頭にいつもモヤがかかっているような状態。それでいて日常に置かれ、いつもと同じように自分を必要としてくれる人がいる毎日。考える暇なんてなかなかないんですよね。
「時が解決してくれる」という言葉があります。どうにもならないことに直面した時に、いろんな人から言われることではあるのですが、多くの場合「時が解決してくれる」のではなくて「時が立てば今の感情は過去のこととして処理できるようになる」ことを言っているのでしょう。論理的には何一つ解決していないのに、何となく整理できた感のあるこの頃。それでいて整理できていないことは何なのか、改めてふりかえってみたいと思うこの頃です。

森時彦『ザ・ファシリテーター ー人を伸ばし、組織を変える』ダイヤモンド社、2004年。

私の「ファシリテーター」「ファシリテーション」との出会いは、この本が出版される少し前、大学在籍中で卒業論文にとりかかろうとしていた頃だったと記憶しています。言葉との出会いは、開発教育(当時)分野の勉強や活動をしていた先輩にふと借りた本にあった記載からです。その後、自然体験活動や冒険教育(私の場合はProject Adventureが中心でしたが)での活動を通じて、インストラクターとも司会者とも記録者とも違うファシリテーターの活躍を目にするにいたりました。
現在私は、当時の私が予想もつかない(というか、当時存在すら知らなかった)仕事に就き、一から勉強して必死こいて何とか仕事をこなしているのですが、対人業務の多いこの仕事にあって、ファシリテーションに関する知見がふと役に立ったことは数知れず。業務に直接の場面でも、業務運営の場面でもちらほら訳に立っています。
ビジネスというか、社会人、組織人としてファシリテーションの有用性を感じ、少し調べてみると出てくるわ出てくるわ。卵が先か鶏が先か、ビジネスが先か市民活動や教育プログラムが先か、人材育成や組織変革といったキーワードと共に様々な情報が出てきて、ちょっと面食らいました。
その中において、読み物としての評価が高い本書の情報を得て、まずはAudioBookで購入し聴いてみるも、資料の多さや図示された内容がきちんとまとまっている書籍も読みたくなり、書籍も購入。一気に読み切りました。
ファシリテーションのエッセンスがぎゅっと詰め込まれているにも関わらず、スリリングな読み物としても大変面白く読ませていただきました。この内容に触発されて、現職場でもちょっとした取り組みを始めようと思ったのも事実です。
ファシリテーションの入門書としても、ケーススタディとしても、ビジネスに応用をと考えている人の事例として等、読む人の置かれている環境・立場によって様々な読み方ができそうです。オススメの一冊です。

2013年5月29日水曜日

些細な違いだけれども

「言えない」と「知らない」
クライアントの感情の高まりを制御できず、結果としてお互い嫌な思いをする、という出来事が今年に入ってから二件目になる。
具体的な引き金は「言えない」と「知らない」の使い方を間違えたことのような気がするのだけれども、背景にはいろいろありそうで。普段は「選びすぎ」と言われるくらい言葉を選んでいるのに、この間違いに至る2,3の質問の時にそれが働かずに、事実と異なる認識を与えかねないやりとりが続いてしまったことや、自分自身も少し気にしていた、本気の相談をするときの自分の仕草や言葉遣いが相手にとっては「上から目線」のように見えてしまっていたなど、言われてみれば反省すべきことは山ほどあるようにも思う。
プロであり続けるならば、当然「使い分け」が必要なのだけれども、私にはもう一段「ど丁寧な対応」モードが必要だと実感した出来事だった。
もちろん、私も手を抜いていたわけではないし、本気で関わっていたからこそ私の前で爆発したフシもあるだろうし、感情がアンコントローラブルになることは想定範囲内だったのだけれども、表情が豹変して飛び出そうとするその人と扉の間に立ちはだかって静止を求めた時には「あ、殴られるかも」と思った自分もいた。
この年になると、こういうこと言われる機会もそうそうないので、ある意味ではありがたい経験ができたのでしょう。反省しつつも、感謝・感謝です。

2013年4月25日木曜日

過信

【過信】(名)かしん
価値・力量などを実際以上に高く評価してたよること。「才能を――する」(大辞林for iPhoneより)

そういうことなのだと思った。
十中八九うまくいくと思っていたことが、結果にならず、その上ちょっとした嫌味まで言われて(相手にその気があったのかどうかは不明だけれども・・・)、怒れるやらイライラするやら恥ずかしいやら。
仕事は結局人対人。今の仕事にも当てはまることで、かつ自分がオフィシャルとアンオフィシャルの境界線での駆け引きが嫌いじゃないものだから、ギリギリのところで仕事をすることも多いのだけれども、今回に関してはこのやり方がちょっと裏目に出た感じである。
そして、これまで十中八九結果に結び付けてきていたという自信が、いつの間にか過信に変わっていることに気づかなくなってしまっていたのだろう。

実るほど頭の下がる稲穂かな

いろんなことがあって凹んだり悩んだりすることもありますが、稲穂の気持ちを忘れずに、でも「世直し」に取り組んでいるプライドは持ちつつ、考え抜いていきたいものです。
嫌味を言われたことに対しては、クライアントのために必ず一矢報いることを約束して、その上で圧倒的な力を見せ付けられるようになりたいものです。専門家としてのプライドです。

2013年4月14日日曜日

ガー・レイノルズ著、熊谷小百合訳『プレゼンテーションZen デザイン』ピアソン・エデュケーション、2010年。

ガー・レイノルズ著、熊谷小百合訳『プレゼンテーションZen デザイン』ピアソン・エデュケーション、2010年。

以前、このブログでも紹介した『プレゼンテーションZen』の続編にあたる書籍。

http://iyokiyeha.blogspot.jp/2010/07/2009_5015.html?m=0
(2010年7月25日投稿分)

前作も大変参考になったが、本作はそのアドバンス版とも言うべき内容となっている。
情報の絞り込み方や余白の使い方、統一感の出し方やデータの使い方など、ただただ見た目に美しいスライドを作るというところではなく、スライドを「使いこなす」ための様々な知恵や工夫を、細部に至るまで豊富な事例とともに紹介している一冊。
特に私のように公的機関に所属していると、聴衆や読み手にとって「いい」プレゼンと、(情報を発する立場の)組織としての都合の「いい」プレゼンとの違いをこれでもかと思い知らされる一冊です。

最近は私にも多少知恵がついてきたので、できるだけその両方を兼ね揃えたハイブリッド版を、いくつかのプレゼンで使ってみて様子を見ているところですが、賛否両論です。外部機関からはほぼ文句なしにいい評価をもらいますが、内側からはいろいろ言われることも多く、必要ないスライドを印刷しないことに文句を言ってくる「考えない」人がいるのも実際のところです。
まぁ、そういう様々な対応も私にとっては「リトマス紙」みたいなもので、ありがたい情報にはなるのですが。

資料作成とプレゼン方法について、「カイゼン」を図りつつも、その本質に鋭く切り込める一冊です。人前で話す機会のある人にはオススメの一冊。私はこれでもって更にレベルアップします。