2013年8月26日月曜日

分類のイメージ

よくあるニーズにどう答えるかと考えて、なるべくシンプルにイメージ化しようと考え、先日浮かんだイメージを一気に図示したのが、こんなイメージでした。
身体の障害のイメージはあるんだけれども、精神の障害って一体何なの?という質問に対して、医学モデル(心身二元論・DSM)をフィードバックして作ってみました。

参考まで。
思ったことがあれば、連絡いただければありがたいです。


「精神障害って何ですか?」というそもそもの問いに対して、まずはイメージをもってもらうための図。

2013年8月24日土曜日

TULLYSにて

近所のコーヒーショップはスターバックスなんですが、出張時やちょっと休憩したい時、選べるのならばタリーズを選ぶ。小難しい理由はなく、ただ単にアイスクリームがあるから、アフォガードにしてくれるから(420円)。
この食べ方って、きっと日本じゃまだ未成熟なのだろうと思うけれども、コーヒー(エスプレッソ)が好きな人、アイスクリームが好きな人、どちらも多くの人が「うまい!」と言うと思います(混ぜ物が嫌いな人にはちょっと向かないかもです)。
以前はメニューの隅に「T'sアフォガード」とあったのですが、先日都内のタリーズに行ったらメニューからなくなっていました。店員さんに「アフォガードってやめちゃったんですか?」と聞いたら「いえ、できますよ。お作りしましょうか?」とにっこり。この辺の接客って、スタバが抜群だと思うけれども、タリーズも負けてない。落ち着いた雰囲気はまだ分があるように思います。
がんばれタリーズ。そして、アフォガードがメニューの目立つところに再掲載されることを心より願っております。
http://www.tullys.co.jp/


2013年8月23日金曜日

どうせやるなら…

別にやる気のない人に「やってくれ」ということはないんだけれど、最近思うこと。

どうせやるなら、ちゃんとやれよ

と思う。
言われてやっているからとりあえず行けばいいと思っているのかもしれないけれども、広く宣伝するから行けばいいと思っているのかもしれないけれども、パンフレットみたらわかると思うから置いてくればいいと思っているのかもしれないけれども、名前知っているから中身もわかっているかもしれないけれども、、、
これら、ぜーんぶ間違っているから。

結局、じゃあ自分がどれだけ他所のことを知っているのかと振り返ったらわかると思うのだけれども、相手先の職員さん、従業員さんよりもその相手先のことなんか知らないですよね?知ろうとしないと意外となーんにもわからないですよね?対話しないから「NPOなんて適当なところばっかりだ」なんて知った風な口がきけちゃうんですよね。相手のことを知るっていうのは、本気でそれに取り組まないといけないし、教えてもらうには自分のこともわかってもらわないといけないわけで。

対外業務をやるってことは、こういうことだと思うのです。
なら、本気でやろうぜ。相手にも本気になってもらって、こちらのこともわかってもらおうぜ。紋切り型の説明、パンフレットを読み上げたって、自分たちのことなんかわかってもらえないぜ。

と、そんなことを思うこの頃です。
意図的に対外業務を増やして、いろんなところに宣伝をかこつけて寄っていますが、いつも「へぇ〜、そういうことだったんですね」「あるのは知っていたけど、説明聞いたのはじめてです」「パンフレットは見たことあるんですけどね」と言われるばかり。どこもかしこも、宣伝先のリストに載っていたはずですけれども、結果そんなです。
戦略的に物事考えるなら、「紹介してもらっていないところ」を回るというよりは「頼りになる人をきちんと落とす」「落としたいところに資源を集中する」とか、いわゆる普通にやるべきことをきちんとやってほしいものです。

あぁ、だから最近疲れてるんだなl、俺。

2013年8月22日木曜日

コネというか人脈というか資源というか

何処へ行ってもそれなりにそれなりに仕事を目一杯やってきたからか、いざという時に助けてくれる人たちが、所属組織の中にも外にもいるという感覚は、何にも捨てがたい自分の財産なのだと思う。
それをコネというか人脈というか仲間というのか資源というのか、そんなことはどうでもいいけれど、大切なのは「困っていることを分かってもらえる人がいて、困っていることが分かる人がいて、お互いに支え合っている」ことなのだと思う。
接点なんて何でもいいのだと思う。先輩、後輩、距離の近さなんて関係なくて同郷であったり住所だったり年齢、趣味。距離を詰めたり保ったり。人間関係ってそういうものなのだと思う。だから疲れるし、だから感情に訴えかけるのだと思う。

2013年8月21日水曜日

現場にある「何か」

何か物事を記述したり、新しいものを作り出す時に、私が以前から大切にしているのはやはり現場にある「何か」である。
今の仕事でも同じことが言える。
山梨在勤時代は、地でそういうことをやっていたのだけれども、東京の激務に紛れてなかなか足が使えずになり、所沢にきても何だか空回り感があることに気づいたのがつい最近である。
いや、おかしいおかしい、うまくいかないとは思っていたのだけれども、改めて考えるまでもなく、外出することをあまり良しとしない管理とのやりとりを避けてこんな状態になるまで気づかないなんて、きっと自分の中にも何かおごりがあったのだろうと思う。
上が変われば組織が変わる、自分が変わればチームが変わる。
週1回は自ら外にでることを決めて業務に向かうと、やはり得られるものも変わってくるし、何より自分の中にイメージが、言葉が湧いてくるような感覚がある。何よりも現場を大切にしていた頃の感覚だ。
当時よりもスキルが上がっているのかどうかはわからないけれども、少なくとも今の仕事を始めた時よりは、仕事ができるようになっているのだから、そこにこの感覚を乗っけたらマズいわけがないと思う。
思うことを、またマメに書いていこうと思う。

2013年8月2日金曜日

鈴木雅彦『スマートフォンUIデザインパターン 〜心地よいユーザーインターフェースの原則〜』技術評論社、2013年。

鈴木雅彦『スマートフォンUIデザインパターン 〜心地よいユーザーインターフェースの原則〜』技術評論社、2013年。

門外漢ながら、知人殿が本書を上梓したという話を耳にしたので、とりあえず購入し読んでみました。
テクニカルなことは、ただただ感心するところと「あぁ、なるほど」と素直に読んで(読めて)しまったので、コメントうんぬんはおいておきます。
題名の通り、スマートフォンのUser Interface の仕組みと意味、そして工夫や改善方法についてかなり具体的な「実用書として」書かれています。スマートフォンのユーザーでしかない私でも、内容のおおよそのところは理解できたところを見ると、具体的な読み手を想定したいい内容なのだと思われます。

内容を追いながら何度か考えたことは、「これってプレゼン資料の作成と似ているな」ということでした。Webページの利用者を想定して、どんなアクションが期待されるのかを予想しながら、期待通りの動きをするように設計・制作していくその(予想する限りの)工程が、プレゼンテーションのそれと重なるような気がします。すなわち、プレゼンの対象者像を絞り込んで、その人たちが期待すること、または主催者が期待するアクションに結びつくように、情報を構成し最もよく伝わる見せ方をする、内容を絞り込むという一連の流れと資料作成のポイントのようなところです。
共通していえるのは、いずれも「(想定する)利用者との対話」があるということだと思います。

読みながら、スマートフォンユーザーの自分にも「あるある」と思う箇所がたくさんあって、その改善方略についての記載を読むと、某アンケートのページもこうなってたらいいのになぁ、なんて思ったりした次第です。

こういう機会でもないと読まない内容の書籍ですから、いい刺激になりました。

2013年7月15日月曜日

この2ヶ月

本当にいろんなことがあった2ヶ月でした。
失敗もあり、悲しいこともあれば、うまくいったこともあったり、怒りや楽しいことも様々に自分の前を通り過ぎていき、大変起伏の激しい期間でした。
雑記のノートには、その時々の感情が生々しく綴られているのですが、今更それらを公開する気にもならず、さりとて何もなしでブログに復帰するのも、と思ったので、ちょっとした区切りの意味合いの強い投稿です。
意に反する感情の動きは、そのものが思考の容量の一部に割り込んできて、知覚や認知、思考の統合やアウトプットといったそれぞれ様々な頭の働きのすべてに影響しているような感じになるものです。この状態を断ち切れずに悶々と内にこもっていくと「うつ状態」となるのでしょう。私の場合は、とはいえまだ回避可能な出来事の積み重ねであったことや、トラウマになるだけの関係ではなかったことが幸いしているのでしょうが、その都度感情がブレて疲れるけれども、自分の核心部分への衝撃には至っていないようなイメージの日々でした。頭にいつもモヤがかかっているような状態。それでいて日常に置かれ、いつもと同じように自分を必要としてくれる人がいる毎日。考える暇なんてなかなかないんですよね。
「時が解決してくれる」という言葉があります。どうにもならないことに直面した時に、いろんな人から言われることではあるのですが、多くの場合「時が解決してくれる」のではなくて「時が立てば今の感情は過去のこととして処理できるようになる」ことを言っているのでしょう。論理的には何一つ解決していないのに、何となく整理できた感のあるこの頃。それでいて整理できていないことは何なのか、改めてふりかえってみたいと思うこの頃です。

森時彦『ザ・ファシリテーター ー人を伸ばし、組織を変える』ダイヤモンド社、2004年。

私の「ファシリテーター」「ファシリテーション」との出会いは、この本が出版される少し前、大学在籍中で卒業論文にとりかかろうとしていた頃だったと記憶しています。言葉との出会いは、開発教育(当時)分野の勉強や活動をしていた先輩にふと借りた本にあった記載からです。その後、自然体験活動や冒険教育(私の場合はProject Adventureが中心でしたが)での活動を通じて、インストラクターとも司会者とも記録者とも違うファシリテーターの活躍を目にするにいたりました。
現在私は、当時の私が予想もつかない(というか、当時存在すら知らなかった)仕事に就き、一から勉強して必死こいて何とか仕事をこなしているのですが、対人業務の多いこの仕事にあって、ファシリテーションに関する知見がふと役に立ったことは数知れず。業務に直接の場面でも、業務運営の場面でもちらほら訳に立っています。
ビジネスというか、社会人、組織人としてファシリテーションの有用性を感じ、少し調べてみると出てくるわ出てくるわ。卵が先か鶏が先か、ビジネスが先か市民活動や教育プログラムが先か、人材育成や組織変革といったキーワードと共に様々な情報が出てきて、ちょっと面食らいました。
その中において、読み物としての評価が高い本書の情報を得て、まずはAudioBookで購入し聴いてみるも、資料の多さや図示された内容がきちんとまとまっている書籍も読みたくなり、書籍も購入。一気に読み切りました。
ファシリテーションのエッセンスがぎゅっと詰め込まれているにも関わらず、スリリングな読み物としても大変面白く読ませていただきました。この内容に触発されて、現職場でもちょっとした取り組みを始めようと思ったのも事実です。
ファシリテーションの入門書としても、ケーススタディとしても、ビジネスに応用をと考えている人の事例として等、読む人の置かれている環境・立場によって様々な読み方ができそうです。オススメの一冊です。

2013年5月29日水曜日

些細な違いだけれども

「言えない」と「知らない」
クライアントの感情の高まりを制御できず、結果としてお互い嫌な思いをする、という出来事が今年に入ってから二件目になる。
具体的な引き金は「言えない」と「知らない」の使い方を間違えたことのような気がするのだけれども、背景にはいろいろありそうで。普段は「選びすぎ」と言われるくらい言葉を選んでいるのに、この間違いに至る2,3の質問の時にそれが働かずに、事実と異なる認識を与えかねないやりとりが続いてしまったことや、自分自身も少し気にしていた、本気の相談をするときの自分の仕草や言葉遣いが相手にとっては「上から目線」のように見えてしまっていたなど、言われてみれば反省すべきことは山ほどあるようにも思う。
プロであり続けるならば、当然「使い分け」が必要なのだけれども、私にはもう一段「ど丁寧な対応」モードが必要だと実感した出来事だった。
もちろん、私も手を抜いていたわけではないし、本気で関わっていたからこそ私の前で爆発したフシもあるだろうし、感情がアンコントローラブルになることは想定範囲内だったのだけれども、表情が豹変して飛び出そうとするその人と扉の間に立ちはだかって静止を求めた時には「あ、殴られるかも」と思った自分もいた。
この年になると、こういうこと言われる機会もそうそうないので、ある意味ではありがたい経験ができたのでしょう。反省しつつも、感謝・感謝です。

2013年4月25日木曜日

過信

【過信】(名)かしん
価値・力量などを実際以上に高く評価してたよること。「才能を――する」(大辞林for iPhoneより)

そういうことなのだと思った。
十中八九うまくいくと思っていたことが、結果にならず、その上ちょっとした嫌味まで言われて(相手にその気があったのかどうかは不明だけれども・・・)、怒れるやらイライラするやら恥ずかしいやら。
仕事は結局人対人。今の仕事にも当てはまることで、かつ自分がオフィシャルとアンオフィシャルの境界線での駆け引きが嫌いじゃないものだから、ギリギリのところで仕事をすることも多いのだけれども、今回に関してはこのやり方がちょっと裏目に出た感じである。
そして、これまで十中八九結果に結び付けてきていたという自信が、いつの間にか過信に変わっていることに気づかなくなってしまっていたのだろう。

実るほど頭の下がる稲穂かな

いろんなことがあって凹んだり悩んだりすることもありますが、稲穂の気持ちを忘れずに、でも「世直し」に取り組んでいるプライドは持ちつつ、考え抜いていきたいものです。
嫌味を言われたことに対しては、クライアントのために必ず一矢報いることを約束して、その上で圧倒的な力を見せ付けられるようになりたいものです。専門家としてのプライドです。

2013年4月14日日曜日

ガー・レイノルズ著、熊谷小百合訳『プレゼンテーションZen デザイン』ピアソン・エデュケーション、2010年。

ガー・レイノルズ著、熊谷小百合訳『プレゼンテーションZen デザイン』ピアソン・エデュケーション、2010年。

以前、このブログでも紹介した『プレゼンテーションZen』の続編にあたる書籍。

http://iyokiyeha.blogspot.jp/2010/07/2009_5015.html?m=0
(2010年7月25日投稿分)

前作も大変参考になったが、本作はそのアドバンス版とも言うべき内容となっている。
情報の絞り込み方や余白の使い方、統一感の出し方やデータの使い方など、ただただ見た目に美しいスライドを作るというところではなく、スライドを「使いこなす」ための様々な知恵や工夫を、細部に至るまで豊富な事例とともに紹介している一冊。
特に私のように公的機関に所属していると、聴衆や読み手にとって「いい」プレゼンと、(情報を発する立場の)組織としての都合の「いい」プレゼンとの違いをこれでもかと思い知らされる一冊です。

最近は私にも多少知恵がついてきたので、できるだけその両方を兼ね揃えたハイブリッド版を、いくつかのプレゼンで使ってみて様子を見ているところですが、賛否両論です。外部機関からはほぼ文句なしにいい評価をもらいますが、内側からはいろいろ言われることも多く、必要ないスライドを印刷しないことに文句を言ってくる「考えない」人がいるのも実際のところです。
まぁ、そういう様々な対応も私にとっては「リトマス紙」みたいなもので、ありがたい情報にはなるのですが。

資料作成とプレゼン方法について、「カイゼン」を図りつつも、その本質に鋭く切り込める一冊です。人前で話す機会のある人にはオススメの一冊。私はこれでもって更にレベルアップします。

2013年3月25日月曜日

猪俣正雄著(大阪市立大学人権問題研究センター企画)『障害者雇用と企業経営 −共生社会にむけたスピリチュアル経営−』明石書店、2012年。

障害者雇用に対し、企業がどのような意識をもって取り組んでいるのか、あるいはどんなニーズがあるのかといったことを知りたかったので読み始めた書籍。
Iyokiyeha の問題意識については、大阪の企業に対する調査結果のみの内容となっているので、当初知りたかった内容に答える内容ではなかったのだが、最後まで読ませる内容であった。
詳細は読み始めた頃に少しずつ書きためたTweetに譲る(後述:長文メモ)が、企業経営はどうあるべきか、どんな社会や組織が理想的なのかといった壮大なテーマに真摯に取り組んでいる一冊であるといえる。著者猪俣氏の思索もまだまだ広がりまだまだ深まる余地が見え隠れするが、これまでに語られた緒論を端的かつ包括的に整理しており、大変勉強になる一冊だった。
現在の私の関心事である職業リハビリテーションそのものに対する考察や憲法や法的な位置づけといった内容にはあまり紙面を割いていないが、あくまで企業経営のあり方について切り込んだ一冊である。


(以下、Tweetを引用)

問題意識:(1)市場経済万能主義に対抗する概念や思想をどのように構築するか。(2)スピリチュアリティやロゴスあるいは意味実現の概念を職場や仕事にどのように取り入れるか。(3)共生の究極の条件をどのように捉えるか。(4)どのような社会や組織(企業)の実現を求めるか。
当事者の親の立場でもある。

障害者雇用の経済的視点:障害のある人を雇用するかどうかは一般の労働市場と同様、経済合理性によって決める。雇用をコストと捉え、費用対効果によって雇用すべきかどうか決定する。市場原理に従った結果であり、新自由主義や新古典派経済学の流れ。
障害者雇用の法的視点:社会的正義からすべての人々にまず社会的経済的利益が平等に分配されるべき(ロールズ)。葛藤や衝突の予防(ケーリー)。人々の自尊の観点から労働権を擁護(カフカ)。障害のある人の働く権利を保障するもの。

障害者雇用の倫理的視点:コールバーグの倫理の発達段階。前慣習レベル:1.罰と服従志向、2.道具主義的相対主義者志向。慣習レベル:3.良い子志向、4.法と秩序志向。後慣習レベル:5.社会契約的遵法主義志向、6.普遍的な倫理的原理志向。前慣習レベルは経済的視点、慣習レベルは法的視点に対応。倫理レベルは後慣習レベルで尊厳の尊重を重要視する。人間は存在価値をもつゆえ尊厳が尊重される必要があり倫理が求められる。働く人の尊厳性を考慮して雇用すること。

障害者雇用のスピリチュアルの視点1:ヴィルバーの発達段階。1.前慣習レベル:幼児の意識の段階で他社の存在を尊重する意識がない。2.慣習レベル:自己の所属する集団・部族・国家の価値観を中心として考える。3.後慣習レベル:民族、人種、性、信仰に関係なくあらゆる人間に対して愛情と関心を向ける。4.後・後慣習レベル:事故のアイデンティティをあらゆる生命体に拡張し、愛情を向ける。
スピリチュアリティを(1)意識の発達ラインにおける最高の状態。(2)愛、信仰といった精神的な態度、姿勢と捉える。自己と自己を超越した外部の崇高なものなどとの一体化や融合、自己利益と他社利益の統合化。

スピリチュアル経営とは:経営者がスピリチュアルな価値(前述)を実践して組織の有効性を達成する過程。組織成員が(1)自己超越性(2)信頼(3)支援(4)憐情(5)献身(6)天職、に基づいて行動すること。仕事によってスピリチュアリティを達成する。仕事が有する次元、(1)手段性(2)社会性(3)評価性(4)精神性。何のために仕事をするのかという根本から、他者や社会との関わりあいの中で生き、自己超越していく目的。
本来は人間が主役で、仕事は人間に合わせるもの。一人ひとりが仕事ができるように創意工夫することが組織のイノベーションを生み出す。イノベーションの機会は他者や組織あるいは社会に貢献する自己超越的行為。
一般雇用に向けて:インクルージョンの理念に基づき障害者雇用支援を行うこと。インクルージョンとはバリアフリーの共生社会のこと。物理的だけでなく、制度、文化・情報、意識のバリアが除去され、すべての人がアクセス可能な社会。

必要な支援:1環境的支援、2経済的支援、3職務遂行的支援。1:物理的、制度的、心理的バリアを除去する取り組み。援助付き雇用や援助付き雇用の拡充が求められる。2:企業の労働生産性と当事者の生産性のギャップを補填する。3:仕事の要件と障害のある人の能力との間のギャップを埋める支援。ジョブコーチやメンターの取り組み。担当者から面的に関わっていくナチュラルサポートの形成。1〜3が総合的に行われることが共生のコンテクストを創造する。

日本の障害者雇用施策:障害者雇用促進法の三本柱、1職業リハビリテーション、2障害者雇用率制度、3障害者雇用納付金制度および障害者雇用継続助成制度。筆者は、障害者が職業能力を高めることで就労可能にするという考え方を課題としている。
課題:一括採用と終身雇用。意識のバリア:障害そのものが拒否する理由になっている=訓練やリハビリテーションが欠陥モデルに基づいており、(障害を)直して就職する、という考え方が定着しており、社会のバリアではなく意識のバリアとなっている。インクルージョンの考えを取り入れ雇用施策を障害者権利条約に合うよう整備する。1合理的配慮を行わないことを差別とする障害者差別禁止法の制定と権利擁護、罰則規定、救済措置の整備。2雇用率を5%とし20人以上規模の事業所を対象とする。3納付金を現在の不足1人あたり月5万円から平均賃金額とする。4政府や地方公共団体との取引において法定雇用率の遵守を選定基準に含めること。一部の自治体では既に行われている。

共生のコンテクスト:障害者雇用の根拠は何か、統合された職場で働くメリットとは何か、真の共生とは何かを検討し、共生のコンテクストを創造するための条件を明らかにする。
障害者観と雇用:M.プレステレイやH.G.ギャラファーによる障害者観=社会の偏見が障害者を不当に差別し施策を阻害する。労働市場も例外ではなく、特に新古典派経済学では顕著。障害者は生産性が低い→適応を必要とする→それは大きな支出となる。障害者問題の原因が障害のある個人の問題と考えることが障害者観として出てきている。一方で障害者運動の結果として自立生活モデルIndependent Living Modelが注目されている。問題や欠陥は社会の中にある。

障害者雇用の根拠:企業がなぜ障害者雇用をするか。1企業に必要な人材であること、2社会的責任として、3アファーマティブ・アクション(積極的優遇措置)として、4ロゴス性。働くことの意味を追求することが企業や個人のロゴス性を明確にする。
共生と障害者雇用:企業の中で障害者が共に働く関係が望ましいと考え雇用することは、相利共生関係を求めることになる。生産性や効率を害する存在と捉え、健常者に依存している存在として捉えると片利共生の関係となる。新古典主義経済学では後者。多様性はイノベーションを生み出し企業が活性化する。相乗効果。障害者雇用にかかるコストをとるか、外部からの信頼をとるか、見極めが重要となる。冗長関係。要素還元主義的にコストを切り出すのではなく、全体像を捉えて考える。
共生のコンテクスト:仕事を単位とし、仕事に人を貼り付ける発想で障害者の訓練をする方法は欠陥モデルに基づくリハビリ。シュリナーの提唱する変革的リハビリテーションとは社会システムを分析単位として客観的条件を変革するもの。仕事の再編成。

キャリア論(ホール):1昇進、2専門職、3生涯にわたる職務の連続、4生涯にわたる役割に関連する経験の連続。キャリア=人の生涯にわたる仕事関連の経験や活動に関わる態度や行動について個人的に知覚した連続。
(スーパー):キャリア発達とは職業的自己概念を発達させ実行していく過程。時間の視点から捉えたライフ・スパン、役割の視点で捉えたライフ・スペースのアプローチ。成長、探索、確立、維持、減退というライフステージに集約。発達課題。
(ホランド):職業行動を説明することに関心。6つのパーソナリティ(現実的、研究的、芸術的、社交的、起業家的、習慣的)、6つのモデル環境(現実的、研究的、芸術的、社交的、起業家的、習慣的環境)があり組み合わせ、行動が決定される。
(シャイン):個人のキャリア発達過程をキャリア・アンカーの概念で捉える。組織と個人との相互作用の過程でキャリア問題を明らかに。個人のキャリア形成は、1個人の成長、仕事、家庭の相互作用とする。それぞれの欲求を満たす方法が必要。
(ハンセン):統合的人生設計モデルIntegratibe Life Planning。キャリア=個人と仕事の適合関係だけでなく、家族・他者との関係・生活上の役割など多くの分野を含めて、生涯にわたる関係で全体滝に捉える。キャリア発達6つの課題。1変化するグローバル視点で仕事を見つける、2人生を意味ある全体に作る、3家庭と仕事を結合する、4多元主義と包摂性を価値づける、5スピリチュアリティの探求、6自分自身の生活の変革者となる。
(シマンスキーら):キャリア発達の構成要素を1個人、2コンテクスト、3媒介要因(個人・環境・社会)、4仕事環境、5結果に分類。キャリアの結果はそれぞれの要因の相互作用で決定されることを示す(≠個人要因と環境要因だけじゃない)。
QOL:人にとって重要な領域を含む諸関係のパターンや全人としてキャリアを捉え、キャリア発達の統合的全体的枠組みを示す。キャリア=仕事ではなく、他の経験や学習の側面を含む。障害のある人の場合は支援を受けることによって向上することもある。
キャリア形成のバリア:キャリア形成を妨げる問題は、1人生早期における経験の不足、2意思決定の困難、3否定的な自己概念。適切な意思決定の機会を与えられないために、意思決定能力が身に付かないなど、社会のしくみと相まって自信をなくしていく。
原因は障害ではなく社会的バリア:障害者問題の基本は、障害そのものではなく障害のある人のライフ・ステージごとに立ちはだかる社会的バリアにあるため、その解決はバリアの除去と彼らの希望を満たすように支援することにある。キャリア形成も同様。

コミュニケーション:障害者の根本問題は障害そのものではなく、その人のコミュニケーションにある。このことが雇用・就労を難しくしている。バーナードの組織成立の三要素(共通目的、協働意欲、コミュニケーション)を引用。
一般モデル。送り手はメッセージを記号化する。その記号はチャンネル(媒体)を通して受けてに解読され、ようやく受け手に届く。各段階でノイズが入る。また記号そのものの明示的な意味だけでなく暗示的な意味も含まれる。
言語はそれを使う人がその規則を知ることで行われる。規則システムは1.形式、2.内容、3.使用、からなる。
1:単語と文法を理解することで自分の考えや意志を表現する。
2:単語の意味を知らなければ言語を使用できない。
会話で重要なのは、送り手と受け手がそれぞれ立場を変えること。効果的な会話には、新自己中心性(他の人の立場をとる能力)と脱中心化(一つの問題についていくつかの側面を同時に考える能力)が必要(バーンスタイン)。
言語的意味とは語や文によって一義的に決まるものではなく、コンテクスト(文章の前後の関係)との関係でしか決まらない。語の単語的意味を知っていてもその意味は会話する状況によって決まるのでコンテクストの理解が必要となる。人は発達するにつれてコミュニケーションにおける意味形成について周りの人との関わり合いの中で、あるいは社会的文化的状況の中で自動的に習得していくと考えられる。障害のある人はこの習得家庭に障害を起こし十分に対応できない。
注意の視点を含めた情報処理システム(R.オーエンズ)1:注意、2:組織化、3:記憶、4:移転。前提としての人間の能力は1.注意の範囲に限界がある、2.注意の一元性、3.認知的緊張を避けようとする内的欲求。

援助付き雇用の理念。
障害のある人が学校卒業後にとる進路は以下の4つに大別される。
�競争的な一般雇用Competitive Employment、�援助付き雇用Supported Employment、�作業所Sheltered Employment、�デイ・プログラムAdult Day Progrum。�は「一般就労」と呼ばれるもので援助を受けずに働くこと、�は職場で他の障害のある人や障害のない人々と一緒に、特別の援助を受けて働くこと、�は障害のある人専用の隔離された場所で働くこと、�は働くのに必要な技能を身につけるためのプログラムのこと。

援助付き雇用とは。
�従来就職できるとは考えられなかった
�以前に就職したことがない
�重度の障害を持つ人々が
�最低賃金以上の給付を得て
�週20時間以上一般就労するもの
である。特徴は、
イ.一般の競争的雇用でその生産性に応じて賃金が払われること
ロ.統合された職場で行われること
ハ.重度の障害のある人のために行われること
である。援助付き雇用を細かく分けると、
�エンクレイヴ・モデルenclave model 一般の職場の中でグループが援助を受けながら働くこと
�作業班モデルwork crew model コミュニティ内で援助を受けながらグループで働くこと
�個人別援助付き職務individual supported job 個人の興味やニーズに合わせた職場で個別に支援を受けながら働くこと
に分けられる。

援助付き雇用の理念とは。
�すべての人々は、働き賃金を得る権利をもっており、競争的な仕事を行う機会が与えられなければならないということ。困難は障害ではなく人々の態度にあるため、社会の態度や偏見あるいは差別を除去すれば、障害のある人は仕事の世界に入り成功を収めることができる。
�就労するために準備する必要はないということ。訓練してから就職させるのではなく、彼らが就きたい職場に就職させ、そこで彼らに必要な支援を行う。

(部下の)業績は
 業績=動機付け×能力×役割知覚×環境の制約
で表せる。

能力:一定の職務を効果的に遂行する能力や特性のこと。しかし障害者雇用においては、能力よりも興味や関心、態度、欲求あるいは仕事に対する価値が重要となる。
動機付け:仕事への意欲ないし仕事を遂行しようとする意志の強さ、あるいは意思の力。
役割知覚:自分の役割を正確に認識しているか否かという点。必ずしも期待された行動をするとは限らない。実際にすべきと考えている「知覚された役割」と実際に行った一連の行動である「演じられた役割」との間に葛藤が生じることもある。
職場環境:職場の物理的環境整備、人的支援体制を含む概念。

就労支援者(スペシャリスト)に求められる要件とは、
1.被支援者の要求ないし要望を聴き取り、それに的確に対応するコミュニケーション能力
2.職場開拓や総合的職業に関する知識や技能
3.地域の事業主や企業家と良好な関係を築ける能力
4.企業の人的資源管理に関する知識
5.人間関係調整能力
6.障害のある人に関する専門的知識
7.障害のある人の適性を見つけその能力を開発し、動機付ける技能
8.障害のある人の権利擁護
198ページ。
信頼のコミュニケーションが必要となる。障害のある人を理解し、彼や彼女をトータルに受け容れ、個々の障害に対応する

2013年3月7日木曜日

子育てしていて思うこと

子ども手当も大事、保育園も大事、幼児教育無償化も意識改革も全部大事。
でも、最近思うのは制度によって支援の拡大について白黒ハッキリさせることなんじゃなくて、もっとグレーな部分を拡大していくことなんじゃないかなと思う。
一つ切に思うことは、働き方(男だけじゃないです)が変わると、生活スタイルが変わるよね、ってこと。

2013年2月20日水曜日

コメント設定変更しました

あまりにスパムコメントが多く、いちいち消すのもアホらしいのでコメント設定変えました。

2013年2月19日火曜日

職業カウンセラーとしての資格

「Iyokiyehaさんってカウンセラー向いてないんじゃないですか?」と半ば罵声を浴びせられて電話を切られてしまった。
仕事での一件。

電話の主の指摘には、一つ一つを切り取ってみたら思い当たる節もないわけではないのだけれども、とはいえ電話でのやりとりということもあり、なかなか言いたいことが言えず、一方的に思いをぶつけられてしまった感もあり、何とも後味の悪い相談結果となってしまった。

ただ、思うに、相談内容や言葉遣いだけじゃなくて、この期間の大きな流れによって電話の主をそれだけ苛立たせてしまったというのは紛れもない事実であって、「私はこう思っていた」は少なくとも今の主さんには通用しないことなのだろうなと思ったら、なんだか謝る言葉も宙に浮いてしまったようにわざとらしくなってしまい、何て言っていいのかわからなくなってしまったというのも事実。

この一点に置いては、確かにカウンセラーとしては「向いていない」のだと実感した。
利用者さんの相談相手であり、鏡であり、時にはロールモデルにならなければならないわけで、スーパーマンにはなれないけれども、やはり求められている要求に応えられなければ、応えられないことに対する説明を納得するまでしなければいけないのだと改めて感じた一件でした。

「過去のことを文脈からはずれて『蒸し返されて』」と言ってしまうのは簡単だし、責任逃れにもなる。組織人としてはこういった対応をするのも一案であるという意見もあるだろうし、ひょっとしたら今日の時点では最善手なのかもしれないけれども(実際同僚にはそう言われたけれども)、組織人としては組織人として整理して、あくまで「私」としてはきちんと振り返らなければならない件となりました。
きっと言いたいことは言わせながら、もう少し軟着陸させる、あるいは怒鳴る前に仕切り直すとか、そういったことはできたのかもしれない。この点においてはスキルの問題だろうし、最後まで言わせるのならこっちは動揺してはいけないのでしょう。

日々精進だなぁ。
この電話の主さんは次に連絡くれるかどうかわからないけれども、電話くれた時にはしっかり話聴いて、言いたいこともすっきりするまで言わせてあげよう。そして、主さんと話せなくても他の利用者さんにこういう思いをさせないようにしよう、そのためにスキルは磨き続けようと改めて思った出来事でした。